米科学アカデミー声明の問題点

荻野 晃也 1996年11月22日

 1996年11月初め、各新聞が「米科学アカデミーが声明」「電磁波とガンの関係確認できず」と報じた。「高圧送電線や電子レンジは“無罪”」との見出しをつけた大新聞まであった。米研究評議会(NRC)が、約3年間調査した結果を声明として10月31日に発表したものだが、「因果関係は明らかになっているわけではなく、一貫性のある結果も得られていない」「更なる研究が必要である」、との内容なのだが、日本の報道ではまるで「17年間も研究した結果」として「影響がないとの結論を得た」かのような記事であった。声明と共に、住居電磁場の健康影響の可能性」と題する314ページの報告書も発表されたのだが、それを読んで記事が書かれたとは到底思えない報道であった。
 電磁波(電磁場)の悪影響を示す研究には疫学分野が多いのだが、「なぜ、ガンになるのか」とのメカニズムが不明であり、それだからこそ今、世界中で研究が進められているのだ。私の調査では、送・配電線と小児ガンの疫学論文は22件、そのうちの17件が「影響ありそう」というものであり、半分の11件には統計的に「有為(95%の信頼区間で1倍を超える場合をいう)」な結果なのだ。
 人間を対象とした実験をするわけには行かないこともあって、この様な疫学研究は極めて重要であり、特に環境要因に関わるガンなどの発生が増加している現状では、疫学で関連性が示された場合は、まず「影響あり」として対処することが大切なのは言うまでもない。スウェーデン政府は、カロリンスカ報告などの疫学結果を受けて、92年秋から「影響あり」と考えて行動を開始しており、95年10月には「慎重なる回避」政策を正式に決定しているほどだ。
 米国でも不安が高まっており、「電磁波被曝は身体に良くない」ということが、国民的コンセンサスになっているといって良い。送電線や変電所に近い学校から、子供を転校させる親が増えており、携帯電話の使用も控えられているばかりか、携帯電話基地局の建設も住民の反対が強く、僅か15%程度しか建設できない状況になっている。その様な米国であるからこそ、94年4月の「米・物理学会声明」や今回のような「NRC声明」の出る背景を理解することができるのである。日本では長い間マスコミの報道がなかったこともあって、多くの国民が知り始めたのは本当に最近のことなのだ。
 声明の根拠になった報告書のどこを読んでも「安全である」とは書かれておらず、あれこれ論文にケチを付けているとしか思えない内容なのに私はガッカリした。携帯電話や電子レンジのマイクロ波などは検討対象にはしていない、と報告書には書かれているにも関わらず、「・・・電子レンジは無罪」と読売新聞(関西版)は報じていた。共同通信の配信にワルノリしつつ、拡大解釈して電磁波影響問題への関心を抑えようとしているように思えてならないのだ。声明文は報告書の要約であろうが、あくまで一部でしかないのである。
 米科学アカデミー(NAS)は1863年に設立された、日本の学士院の様な組織だ。米議会や連邦政府などからの諮問に答えるためもあって、1916年にNRCを設立した。その後、NRCには米工学アカデミーと医学研究所が参加しており、約6千人の会員がいる。NRC内には幾つもの委員会と部会があり、今回の声明・報告は、生命科学委員会(20名で構成)、放射線効果研究会(BRER:10名で構成)、NRC内に組織された「生物系の電磁場における影響の可能性」小委員会(16名で構成)が共同でまとめたものである。主な作業は小委員会が担当し、相互に連絡し合いながら作成され、依頼もとであるエネルギー省の責任者も参加・協力している。
 79年のワルトハイマー論文以降の17年間に発表された疫学研究を中心に約500件の論文を調査・検討したのだそうだが、引用文献を調べると、96年の文献は僅か2件であり、それも米国電気電子学会のものばかりであった。一番重要であるはずの小児ガンなどの論文は、94年のものが1件だけなのに私はびっくりした。94年秋ごろから極めて重要な論文が急増しているにも関わらず、それらは全て無視されているのである。
 報告書に引用されているワルトハイマーらの論文は、79年以降89年までの5件だけであり、それ以降の論文は全く引用すらされていないのである。また、細胞レベルと疫学との間の橋渡しをしている、いわばメカニズムを考慮した初めての論文として私が評価しているボーマン論文も検討対象から外されている。95年の論文だが、小児白血病が9.2倍にも増加しているとの内容であり、それも米国・電力研究所の支援を受けた研究なのだ。そして米国の電力会社従業員14万人を対象とした疫学研究で、脳腫瘍が2.29倍という統計的に有為な増加をしているというサビッツらの論文も95年であることによって除外されている。その一方で米国・電気学会の論文は96年のものまで含まれているのである。とにかく不思議な報告書である。また、職業人を対象とした疫学調査も重要であり、94年頃から電力会社の従業員を対象とした信頼度の高い研究も多くなっているのにも関わらず、それらも真剣には検討されてはいないのだ。職業人を対象とした疫学研究は80件ほどあるのだが、その内の約50件は「影響ありそう」な結果であり、一般人を対象とした研究と合わせて検討されるべきことは言うまでもない。小委員会の議長はスティーブン教授(カリフォルニア・ホーワン医学研究所)であり、副議長はサビッツ教授(ノースカロライナ大)である。16人の委員中には、メラトニン研究で有名なライター教授(テキサス大)などのRAPID研究プログラムのメンバーが3人含まれている。NAS会員は議長を初めとして3人、世界保健機構(WHO)メンバーが2人、放射線防護計測委員会(NCRP)メンバーもいる。NRCからはスタッフ6人が、BRERからは1人が連絡担当者として参加している。いわば小委員会は上部機関の監視下で報告書をまとめたのではないかと推測するほどだ。
 NASなどにはが界の大物(つまり年寄り)研究者が多く、NAS会員数1728人(それ以外に外国会員数299人)でノーベル賞受賞者が129人含まれている。しかし、いずれも保守的な研究者が多く、今までに発表された声明や報告は議会寄り、政府寄りのものが多いことが知られている。電磁波関連でも77年にも発表していて、米軍が計画していた大レーダー基地(シーファラー計画)に関して「極低周波電磁波は人体に悪影響を与えない」との内容であった。
 2ミリガウス以下に送・配電線を規制するとすれば、2500億ドルが必要になるとの試算や、電磁波低減対策費として電力会社はすでに年間10億ドルもの支出をしているという試算が議会予算局から発表されている(94年)。研究費の低減に悩む研究者から、電磁波問題は大したこともないし、リスクも小さいという不満が出ているのである。
 報告書には、どこにも「安全である」という根拠が示されていないにも関わらず、「危険性の立証が確立していない」という揚げ足取り的な批判に満ち満ちている。小児白血病に関しては、「多くの疫学調査が危険性を示している」と書いてはいるが、一方では「交通状況、大気汚染、建物の古さなどの要因を調べていない」ので不十分であると批判している。メラトニンへの影響に関しても、多数の論文があることを認めながら、ラットなどの動物実験が主であって、人間への影響などは再現性が乏しいとして切り捨てるのである。最初から「結論あり」の極めて政治的な報告書の様に私には思えるのである。
 確かに、「悪影響がある」ということが100%確立しているわけではないのであり、それだからこそ報告書も「電力線と小児白血病との関係に関して、緊急に要因の研究を行なうことが必要である」と述べ、乳ガンに関しても「メラトニンの減少理由の研究も含めて乳ガン研究を進める」必要性を認めているのである。これから200年にかけて、米国やスウェーデンで4件の大がかりな「電磁波と乳ガンの疫学研究」が実施されていることも書かれていない。小児ガンについても、英国とオーストラリアとの合同疫学研究が現在行なわれているところなのだ。危険性の可能性が高いからこそ、この様な研究が行なわれているのである。
 いつも良く言っていることだが、この様な研究のもっとも適した研究場所がこの日本なのである。「送電線の直下での家の建築を認めている」と書かれているのがこの日本だからだ。送電線周辺の人口密度は、米国の数十倍は高いのだから、マスコミこぞってその様な研究を行なうように厚生省などへ要求して欲しいと思うのだが、そのような要求すらせずに、今回の声明をまるで「電磁波は安全」とばかりに報道するのである。
 今回のNRC声明・報告書を紹介した米国の週刊誌「ニューズ・ウィーク」(11月11日号)は記事の最後で次のように書いている。「不安のある電磁場は少なくできる。古い型の電気毛布の電磁場は強いので新しい型のものに買い替えなさい。電気製品からは離れるようにしなさい。缶切り器やヘアドライヤーからは、6インチ(約15cm)よりも12インチ(約30cm)は離れるように。そうすれば電磁場の75%はカットできますので」と書いているのである。
 私たちの望んでいるのは、まさに「安全であること」なのである。少なくとも大規模な誤差の少ない研究を世界レベルで行なうべきなのである。とにかく、細胞や脳やガンなどと電磁波との影響研究は最近になって浮上した問題なのだ。NRC声明・報告書が言うような古い問題なのではない。WHOも2000年までの検討を開始している。どの程度 「安全なのか」が明らかになるまでは、私たちは自分で身を守るより他に方法がないのである。

資料のインデックスページに戻る