電磁界情報センター主催・第1回電磁界フォーラムが開催

□11回シリ−ズの第1回目
 2009年に、電磁界情報センタ−主催で「電磁界問題の過去・現在を知り、未来を考えよう」と題するフォ−ラムが開かれました。10月20日(火)は東京の国立オリンピックセンタ−記念青少年総合センタ−で、10月28日(水)は大阪国際交流センタ−で開かれました。電磁界情報センタ−としては、11回にわたって様々な角度からフォ−ラムを開催していくとのことです。
 今回は第1回目で、電磁波問題の経緯と社会動向等をそれぞれ違い立場の人から提起してもらい、討論していくという趣旨で開かれました。

□3人のパネリスト
 当日のパネリストは3人でした。まず最初に、電磁界情報センタ−のスタッフ(東京は倉成氏で大阪は世森氏)が、「電磁界問題に関する歴史」をレクチャ−をしました。2番目に、電磁波問題市, 民研究会事務局長・大久保貞利が、「電磁波, 問題市民研究会の歴史」をレクチャ−しました。3, 番目に、電力中央研究所主任研究員・小杉, 素子氏が「市民の電磁界のリスク認知とそ, の歴史」をレクチャ−しました。
 小休憩をはさんだ後、パネラ−と, 会場からの発言も交えて討論を行ないまし, た。参加者は東京会場が約100人、大阪会場, が約60人でした。

□危険を示す情報は隠されている?
 大久保貞利がレクチャ−した内容は、後段で紹介します。
 電磁界情報センタ−スタッフによる「電磁界問題の歴史」は、思ったより公平に過去の経緯を紹介していました。しかし、バイオイニシアティブレポ−トを紹介しておきながら、「オランダ保健協議会やドイツ連邦放射線防護局はこれに批判的」と余計なことを付け加えるところは、電磁界情報センタ−の限界を良く示しています。バイオイシニアティブレポ−トがEUで高く評価されている歴史的事実が重要で、都合の悪い情報も公開することが、リスクコミュニケーションとして重要なのです。
 小杉素子氏の報告は、電磁波に対する専門家と一般人の認識の違いを、調査に基いて紹介していました.参考になったのは、科学や技術の危険性を示す情報は一般人に隠されていると思う人は、一般人で7割ほどもあり、バイオ専門家ですら5割だったことです。他面から見ると、危険性情報は隠されていると見て良いのかもしれません。

□討論は大阪のフォーラムが良かった
 東京会場の討論では、助言者として壇上にいた、大久保千代次・電磁界情報センター所長が、自論を披露する悪い癖を出したので、討論になりませんでした。たまりかねて、大久保貞利が、「電磁波に対する安全論者と懐疑論者が同数で無いと、リスクコミュニケーションは機能しない。この場では、実質的に3対1なので成り立たない。」とクレームをつけました。
 大阪会場では、東京の反省をしたためか、フェアーな討論と見られるようになりました。大阪会場には、兵庫県川西市で活動をしている方や電磁波過敏症の方よりの発言もあり、これらをどのように生かすかが、電磁波情報センターの今後を決めるでしょう。リスクコミュニケーションは安全情報を主張したり普及したりする場ではないことを、しっかりと認識すべきです。

(以下は大久保貞利のレクチャーの内容です)

電磁波問題市民研究会の歴史

(前史)
1978年;コンピュ−タ合理化研究会発足(コンピュ−タによる人減らし合理化、労働の変質=熟練解体、労務管理強化、社会システムとしての国民総背番号制に反対する市民運動。住民基本台帳全国ネットワ−ク化阻止の司令等的役割を果たす。最盛期には全国集会に7百人参加。市民運動の草分け)

1980年前後;1970年代後半から1980年代はじめにかけて、カナダ・トロントスタ−社やニュ−ヨ−ク・タイムズ社の女性オペ−レ−タ−の間で流産・死産・異常分娩等が多発。これはVDT(パソコン)労働従事が原因とされた。これをいち早く「反コンピュ−タ通信」で報せる。

1984年;剣持一巳著(コンピュ−タ合理化研究会代表=技術評論家)『ハイテク災害』(技術と人間刊)で、日本で初めて電磁波健康問題をVDT健康障害として紹介。

1984年;総評マイコン調査委員会内に設置されたVDT健康調査委員会にコンピュ−タ合理化委員会から剣持一巳と大久保貞利が参加。メンバ−は7人。この委員会が「世界最大規模のVDT労働健康実態調査」(1万3千人対象)を実施し発表。当時読売新聞1面に掲載される。調査結果としてVDT(パソコン)が健康障害をもたらすことを指摘。

(本史)
1996年10月;ガウスアクション(電磁波問題市民研究会の前身)設立

1996年12月4日;ガウスアクション設立記念集会に150名参加。門真市の自治会長やリニアモ−タ−カ−実験でがんが複数発症したと訴える女性等が出席

1997年2月15日;第2回講演会「郵政省は信頼できるか」100名参加

1997年3月20日;第3回講演会「増えている電磁波過敏症」110名参加。日本で初めて日本経済新聞が『電磁波過敏症』の囲み記事を掲載

1997年5月31日;第4回講演会「電磁波−どうしたら防げるか」実際には400名以上が殺到し大混乱。この集会にビラで『いんちき防護グッズ』とシ−ルド製品を批判したので、業者が大量に参加し、責任者が殴られそうになった。その業者の製品を公正取引委員会に告発したら1年後に受理された。

1997年6月21日;第5回講演会「電磁波−どうしたら防げるかPART2」

1998年2月28日;第6回講演会「ケ−タイは安全か」130名参加

1998年4月;名称を「ガウスアクション」から「電磁波問題市民研究会」に変更

1998年7月;会報『ガウスアクションニュ−ス』を試験的に発行

1999年5月29日;第7回講演会「電磁波環境『慎重なる回避』に向けて」45名参加

1999年11月;会報名を『電磁波研会報』にリニュ−アルして第1号発行

1999年12月18日;第8回講演会「電磁波問題を巡る海外・国内の最新の動き」50名参加)

2000年8月7日に環境省・郵政省と交渉(電磁波防護基準改善要望書提出)

2000年8月;JR各社、民鉄協、公営交通に対し「携帯電話の車内、駅構内での使用全面禁止」の申し入れ

2000年9月30日;第9回講演会「なぜ、日本では電磁波規制が進まないのか」61名参加)

2001年4月;総務省に「携帯電話のSAR問題」中心に意見書提出

2001年9月27日;第10回講演会「携帯電話やパソコンの電磁波って安全なの?」

2002年5月13日;厚生労働省・総務省と交渉「予防原則を日本に導入せよ」要望書提出

2002年11月12日 予防原則を求める電磁波問題市民研究会署名13748名分を1府5省(内閣府、環境省、文部科学省、総務省、厚生労働省、経済産業省)に提出し交渉。(この時、内閣府では交渉を歓迎された。交渉相手に歓迎されたのは初めて)

2002年12月7日;講演会「見えない危険による健康被害〜過敏症複合汚染問題」

2003年2月8日;講演会「誰でもわかる電磁波問題」。単行本『誰でもわかる電磁波問題』(緑風出版)発刊記念集会

2003年11月;鉄道会社19社に「車内及び駅構内での携帯電話使用禁止の要望書」を提出。

2003年11月23日〜28日;米国「ダラス環境医学治療センタ−」に過敏症の現地調査実施

2003年12月13日;講演会「ダラス環境医学治療センタ−での電磁波過敏症治療対策」

2004年8月3日;総務省に「過疎地でも携帯利用できるよう自治体に補助金を出す電波法改悪案反対」の申し入れと交渉

2005年7月15日;国交省に「電線地中化にあたって電磁波低減対策」をとるよう要望書を提出し交渉

2006年5月31日;総務省と「新東京タワ−問題と地デジ化」について要望と質問と交渉

2006年10月28日;講演会「本当に安全?新東京タワ−の電磁波!」50名参加(新東京タワ−を考える会主催)

2007年10月;総務省電力設備電磁界対策ワ−キンググル−プに意見書提出

2008年4月13日;「電磁波シンポジウム」開催

2009年3月;署名95,041名提出(電磁波から健康を守る百万人署名連絡会議)

市民運動としての成果

  1. 電磁波問題市民研究会が関与して中止させた携帯電話中継基地局は全国で百基以上

  2. 1997年に横浜市が市内全小中学校にPHS基地局を建設しようとし、68校まで設置した段階で、横浜市学校事務組合と神奈川ネットワ−ク運動の市議から電磁波問題市民研究会に協力を依頼され、結局、全面撤去に追い込んだ。その余波で川崎市と港区でも同様の動きがあったが計画は白紙になった。

  3. 2008年に町田市東急田園都市線すずかけ台駅構内に東急が鉄道変電所を建設しようとした。これに至近距離にあるマンション住民を中心に大きな反対運動が起こり、電磁波問題市民研究会は理論面で援助し、最終的に変電所建設計画は中止となった。

  4. 2009年に都立豊多摩高校屋上にNTTドコモが携帯電話基地局を建設しようとしたが、職員有志、地域住民、PTA、杉並区議、社民党衆議院議員らと共同して建設計画を白紙撤回させた。もし設置されていたら都立高校は携帯会社のタ−ゲットになっていたであろう。

市民運動の意義

  1. 日本ではマスメディアが欧米と比較して電磁波問題をあまり報道しないし、行政も「企業寄り」としか言えない対応しかしていない。そのため、住民、市民は電磁波問題が起こっても相談する場所がなく、暗中模索で苦しんでいる。そうした状況下で市民運動や市民団体は一種の“灯台”の役割を果たしている。

  2. 電磁波のリスクは、いまだ確定していない段階、すなわち「灰色」段階にある。こうした灰色段階だからこそ、利害関係者が情報を共有し、電磁波発生設備の建設において計画段階から共考し「よりよい判断」をすべきである。しかし、日本ではそうした文化風土が育っていない。情報の共有やその上に立った共考を実現する上で、電磁波問題に精通している市民団体の果たす役割は大きい。

  3. 批判なきところに進歩はない。現代の日本では電力会社、電機メ−カ−、携帯会社など、電磁波発生製品をつくる企業の力は圧倒的に市民や住民より強い。しかし一方で、電磁波に対する国民の不安感は背景として決して小さいものではない。「国の電磁波基準やガイドラインを大幅に下回っているレベルの電磁波量だから心配ありません」といくら電力会社や携帯会社や電機メ−カ−が“説得”しても、それでは納得しないのは、国民が電磁波に対して不安、懸念を抱いているからである。全国で住民運動が反対運動として一定の力を発揮するのは、こうした不安や懸念が深い部分で横たわっていることを示している。電磁波問題に精通した市民団体が、いち早く海外の電磁波情報をキャッチし、インタ−ネットやニュ−スレタ−や本や講演で情報発信しているが、そこに問題を抱えた住民たちはアクセスする。
    多くの国民は、通常「パブリック(public)=大衆、一般人」だが、基地局問題や変電所問題や健康被害や電磁波過敏症を発症したら「ステ−クホルダ−(stakeholder)=利害関係者」に変わる。一般人は電磁波問題に現段階ではあまり関心を示さないが、利害関係者になった時はめざましいほどに情報収集に乗り出す。そうした利害関係者としての住民にとっては、企業や行政がふりまく「情報」より、電磁波問題に精通した市民団体が提供する情報のほうがフィットする。それだけ信頼度が高いからこそ住民も市民運動や市民団体を支持するのである。企業や行政や行政寄り企業寄りの専門家は、そのことにもっと謙虚になり反省すべきではなかろうか。

総合討論で大久保貞利の発言

「大久保さんの発言で『日本のマスメディアが欧米と比べて電磁波問題を報道していない』とありますが、統計的根拠があって言っているのか」との会場質問に対して
統計的というほどそんなに厳密ではありませんが、日本のNHKが参考にしている英国のBBCテレビと比較すると良くわかるのではないでしょうか。ある年にBBCテレビは1年間で電磁波問題を30回ほど報道しました。日本のNHKが1年間で電磁波問題を約30回も報道したらどうなるでしょうか。だから、「日本では欧米と比較して電磁波問題の報道が少なすぎる」と言っているんです。

「IARCの『電磁波は2Bランク』というのは、具体的にはコ−ヒ−や漬物がこの2Bに入ります」という、電磁界情報センタ−スタッフの発言に対して
IARC(国際がん研究機関)のランクは1,2A,2B,3,4の5段階あるが、そのうち2Bは一番多く100以上もある。いまコ−ヒ−とか漬物を例として言いましたが、恐いものをあげれば他にいくらでもあります。しかしそういことを言っても意味がない。2Bはポシブル、つまり「発がんの可能性がある」という分類です。例えば、1997年2月までダイオシキンは2Bだったが、評価委員会の投票で1票差でいきなりAに格上げとなった。こんなふうに変更があるのです。

 「どんなものにもリスクはある。100%安全なんて言えないんです」と電磁界情報センタ−所長・大久保千代治氏の発言に対して
そうです。科学者は100%安全なんて言ってはいけない。しかし企業は科学者じゃない。だから彼らは現場で「電磁波は安全だ」と言うのです。それが問題なんです。

 「最後に、大久保さん、発言することありますか」と司会に促されて
最後に苦言を言うのはなんなのですが、リスクコミュニケ−ションと言うのならル−ル位守ってくださいよ。電磁波安全派と懐疑派を2対2とか、3対3といったように同数配置するのが、リスクコミュニケ−ションをする上で    の最低限のル−ルなんではないですか。おかしいですよ。


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