網代太郎(電磁波研編集長)
生活環境中の電磁波が引き起こす、電磁波過敏症や、その他の健康影響のメカニズムを「量子力学」が解き明かしてくれるかもしれません。
「量子」とは、粒子と波の性質をあわせ持った、とても小さな物質やエネルギーの単位のことです。物質を形作っている原子そのものや、原子を形作っているさらに小さな電子・中性子・陽子といったものが、量子に含まれます。光を粒子としてみたときの光子やニュートリノやクォーク、ミュオンなどといった素粒子も量子に含まれます。
量子の世界は、原子や分子といったナノサイズ(1nm(ナノミリ)は1mmの100万分の1)あるいはそれよりも小さな世界です。このような極めて小さな世界では、私たちの身の回りにある物理法則(ニュートン力学や電磁気学)は通用せず、量子力学というとても不思議な法則に従っています。近年は、不思議な量子特有の性質を、コンピュータやセンサー、通信技術等に活用する「量子技術」も急速に発展しています[1]。
私たちの生活環境中は、送配電線や家電から漏れる(超)低周波電磁波に覆われ、テレビ、携帯電話、Wi-Fiなどの放送通信用の高周波電磁波が飛び交っています。経済産業省や総務省は「電磁波によるヒトへの健康影響は、刺激作用(低周波)または熱作用(高周波)によるものである。生活環境中の電磁波は、刺激作用/熱作用を引き起こすほどには強くないので、健康への影響はない」としています。
これまでも、多くの生物種が電磁波を感知する能力を持っていることが知られていましたが、量子力学の研究の進展もあって、あらゆる生物種が、ヒトに刺激作用/熱作用をもたらすよりはるかに「弱い」電磁波を感知できること、そして、昔は存在しなかった人工電磁波によって悪影響を受けている場合があることが、いよいよハッキリしてきました。
渡り鳥には磁場が見えている?
量子力学の考え方を使って生命現象を研究する学問分野を「量子生物学」とも言いますが、この分野でもっともよく知られている事例が、渡り鳥と地球磁場の関係です。数千km以上を移動する渡り鳥が、迷わず目的地に行ける理由として、太陽や星の位置を利用するほか、地球磁場を感知できるためと考えられています。
渡り鳥のくちばしにはマグネタイト(磁鉄鉱)を含む細胞があり、マグネタイトは磁気を帯びていることから、この部分が方位磁石のように地球磁場を感知しているものと以前は考えられていました。マグネタイトは多くの生物種で見つかっており、ヒトの脳にもあります。
しかし、カワラバト(伝書バトとして利用されるハト)のくちばしを詳しく調べたところ、マグネタイトを含んだ細胞はマクロファージという免疫細胞であって、磁気を感知できるような神経細胞ではないという論文が2012年にネイチャーに発表されました[2]。
また、渡り鳥は、数MHzの人工的な電磁波によって、地球磁場の感知を妨害されることが研究で分かりました。このこともマグネタイト説への疑問につながりました。たとえて言うなら、方位磁針はスマホに密着させるなど強い電磁波を浴びせれば狂いますが、携帯電話基地局からの強さの程度の電波であれば狂うことなく北を指します。
渡り鳥が磁場を感知できる仕組みとして現在もっとも有力なのが、以下の説明です[3]。
渡り鳥の網膜に存在する「クリプトクロム」と呼ばれるタンパク質が鍵となります。クリプトクロムが青色の光を受けると電子を一つはじき出します。通常、分子が持つ電子は偶数ですが、はじき出せれた電子が近くの別の分子と合流すると奇数の電子を持つ分子が2つ出来ることになり、「ラジカル対」と呼ばれる状態が生じます。「ラジカル(遊離基)」は奇数個の電子を持ち、多くの化学反応で重要な役を果たします。ラジカルは紫外線をはじめとするさまざまな方法で誘発され、日焼けの原因は紫外線によるラジカルの生成によるものです。
ラジカル対では、二つのラジカルが「量子もつれ」という量子力学的な振る舞いをします。詳しい説明は省きますが、クリプトクロムの中で起こる量子もつれの状態は、ごく弱い磁場によって変化します。その変化の情報がクリプトクロムが存在している渡り鳥の網膜から脳へ伝わるので、渡り鳥には地球磁場が「見えている」のではないかと、研究者らは考えています。
この仕組みであれば、弱い人工電磁波によって渡り鳥の地球磁場感知が阻害されることが理論的に説明可能なのだそうです。また、マグネタイトが磁場感知にまったく無関係というわけではなく、ラジカル対とマグネタイトの二つの仕組みが連携して磁場を感知している可能性が指摘されています。
鈍感症のヒトは生物種の中で少数派
ゴキブリも磁場を感知でき、クリプトクロムが関与していること、やはり高周波磁場で方向感覚が乱されることが分かっています[4]。
クリプトクロムは、磁場を感知できることが知られているショウジョウバエや、渡りをする蝶であるオオカバマダラや、クジラなどにもあり、また、ヒトの体内にもあります。『日経サイエンス』編集部の出村政彬さんは、同誌の記事の中で「ヒトで磁気感覚が報告された例はまだない。ヒトの体内でクリプトクロム(が)磁場の変化を感知していたとしても、それを神経の電気信号に変換する仕組みがヒトの場合は存在しないか、あるいは著しく機能が低下しているようだ」と書き、また「ヒトは磁場にかなり鈍感な動物であり、その結果我々は様々な電子機器を自由に使える恩恵を受けている」という研究者のコメントを紹介しています[5]。私はこの記事を読み、あわせてヒト以外の多くの生物種が磁場を感知できることを踏まえると「電磁波過敏症はヒトの中では少数派かもしれないが、電磁波“鈍感”症であるヒトは生物の中では少数派なのだ」「ヒトにもクリプトクロムがあるなら、何らかのきっかけでヒトが電磁波過敏症になるのは当然あり得る、と言えるのではないか」と考えました。
過敏症には量子力学的アプローチが必要
私が考えるようなことは、当然、研究者の方々も考えていて、電磁波過敏症を量子力学から解き明かす必要性が指摘されています。
東北大学理学部の宮田英威准教授(当時)は、前述のクリプトクロム中のラジカル対とは異なる仕組みの量子力学的な現象が、ヒトにとっての電磁場センサーになっている可能性を示しました[6]。外部からの弱い電磁波に影響されるラジカルの歳差運動(回転運動)がセンサーであるという説で、詳しくは論文をご覧ください。
電磁波過敏症の理解は磁場感知の研究成果の応用が必要
先月(2024年12月)には「ヒトの磁気受容に関するメカニズムの理解は、電磁波過敏症(EHS)という現象を裏付ける」と題する論文が発表されました[7]。ヒトを含む多くの生物種による磁場感知についてこれまで発表された研究論文を収集して紹介したうえで、「EHSに関する今後の研究では、生物の磁場感知に関する既存の生物学的知識を基盤とした量子力学的なアプローチが必要である」と結論づけています。著者は英国ブリストル大学のDenis L. Henshaw(ヘンショウ)ら。
Henshaw論文が紹介している既存の研究成果の一部を、以下に紹介します。
- 鳥やその他の特定の種が、ナビゲーションや移動の目的で、地球磁場の変化を10nT(ナノテスラ。1nT=0.001μT。ヒトの小児白血病リスクを増やす磁場の強さは0.3~0.4μT)という低い値で検出できることが、かなり理解されるようになっている
- 多くの昆虫種は磁気を感知でき、ミツバチ、ゴキブリ、ヒグラシ、ショウジョウバエ、サバクアリ、オオカバマダラ、オーストラリアのボゴンガなどの種は、地球磁場をナビゲーションの補助として利用している
- クリプトクロムは、すべての昆虫の目と脳に存在し、その磁気受容体としての役割は詳細に研究されている
- 昆虫に対する高周波電磁波の数多くの生物学的影響が確認されており、神経系への伝達が調査されている
- 植物の微生物や菌類も磁気感受性を示すことが知られており、そのメカニズムには大きな関心が寄せられている
- 磁気嵐は健康と幸福感に悪影響を及ぼすことが知られており、ヒトの10~15%が影響を受けやすいと考えられている
- 磁気嵐は海抜0m地点では50~250nTの小さな変動をもたらすが、通常は比較的安定している地球磁場(世界中で約23~65μTの間で変動)の1%未満でしかない
- 上記の知見の一部は、電磁場に悪影響を受けやすいと訴えていない健康なボランティアを対象とした客観的なヒトの誘発試験で実証されている。別の実験では、健康なボランティアが、実験室の条件下で事前に記録された磁気嵐にさらされた。各実験において、通常の地球磁場条件下の曝露と比較して、心血管パラメータに統計的に有意な変化が観察された
- 送電線から発生する超低周波電磁場はミツバチに強い生理的ストレスを与えることが報告されている
- 超低周波電磁場発生源から10~25m以内で7~9μTの磁場にさらされて成長したカリフォルニアポピーは、発生源から離れた場所で育ったものよりもミツバチの訪問数が少なく、種子の生産数も少なかった
- 高圧送電線の真下またはその近辺で、家畜の体の向きのパターンが明確に現れた。超低周波磁場が体の向きに及ぼす影響は、送電線からの距離が遠くなるにつれて減少した
- 制御された実験室条件下におけるヒトの地球磁場への感覚受容について調べた、慎重に計画され適切に実施された二つの独立した研究(Wangらの研究と、Chaeらの研究)の結果から、ヒトは無意識のうちにでも磁場を感知できることが証明された。また、ヒトには鳥類と同様に、磁気感知の二つ方法がある可能性がある。鳥類は、方向感知には目のラジカル対に基づくコンパス、強度感知には他の場所にある磁気粒子(マグネタイト)を使用していると考えられている
- 人工的な超低周波および高周波のノイズは、主に以下の2つのメカニズムによって生物学的システムと相互作用する。体内の磁性粒子(マグネタイト)と量子力学的なラジカル対メカニズムである。このような相互作用は、細胞膜のイオンチャネルの開口につながり、その結果、細胞内および細胞外のイオン濃度に変化が生じる。これらの変化は神経系と結びつき、EHSを含む行動およびその他の反応を引き起こす(図)
- 生体内における磁性ナノ粒子(マグネタイト)の存在は周知であり、広く研究されている。 その一例として、約20億年前に発生した磁気細菌が挙げられる。この細菌は、磁鉄鉱を含むマグネトソームを体内に持ち、地磁気の線に沿って泳ぐことができる。人間を含む多くの生物の体内にこのような粒子が存在することは、磁気受容のメカニズムである可能性がある。これは理論的な考察と、感覚神経細胞でマグネタイトが検出されたという事実の両方によって裏付けられている
- ラジカル対メカニズムを介した磁気感受におけるクリプトクロム蛋白分子の役割は、広範囲にわたって研究されている。鳥やその他の種が使用するコンパスは、眼のクリプトクロム光受容蛋白分子で機能していると仮定されており、そこでは、青色光の吸収と電子移動によりラジカル対が生成される
- ヨーロッパコマドリを1~10MHzの電磁場にさらしたところ、85nTという低い値でも渡りの方向感覚が混乱したという証拠が得られた。これらの知見は、多くの種で再現され、確認されている。磁場の検出閾値の推定値は徐々に下方修正され、アメリカムシクイでは2.4nT未満のレベルから始まることが報告されている
- ヒトのクリプトクロムは磁場感受性であることが示されている。クリプトクロム遺伝子を欠くように操作されたショウジョウバエは磁場感受性を失う。しかし、ヒトのクリプトクロム遺伝子を導入することで感受性は回復する。ヒトのクリプトクロムは、脳を含むほとんどの組織に存在する。これらの証拠は、クリプトクロムがヒトのナビゲーションに関連していることを示唆している
- 磁気感受のプロセスにおける重要な部分は、フリーラジカル活性酸種(ROS)の放出である。このテーマは、実験で超低周波磁場にさらされた細胞や、EHSの神経精神医学的影響の文脈で議論されてきた。これには、変動電場が電圧依存性イオンチャネル(VGIC)の開閉につながる可能性があるという見解も含まれている。電磁場が神経細胞のイオンチャネルに及ぼす影響については広範に研究されており、VGICが中枢神経系に対する電磁場の影響の主要な伝達因子であることが明らかになっている。EHS患者に関する最近の症例報告では、酸化ストレスに対する免疫応答性との相関が明らかになっている
- ある研究では、磁場がショウジョウバエの神経細胞の活動電位発射を増やす光活性化クリプトクロムの能力を増強するという決定的な証拠が示され、クリプトクロムが外部磁場に敏感であることが示された
- クリプトクロムは概日リズム(体内時計)の制御で最もよく知られている。
過敏症研究への提言
上記などの研究報告を踏まえ、Henshawらは以下の「結論と提言」を示しています。
- 学術レベルでは、生物学における磁気受容の分野で研究を行う研究者は、EHSを公衆衛生上の懸念として認識し、その問題に対処するための資金援助を科学的研究の一環として受けるべきである。
- すべての利害関係者、特にEHS患者と医療従事者は、あらゆる生命体が極めて低いレベルであっても磁場/電磁場を感知するメカニズムについて、ここ数十年で理解が大幅に深まっていることを認識すべきである。これまでのEHS研究は、量子生物学のメカニズムとプロセスに関する現在の科学的理解について、多くの医学研究者やEHS研究者が根本的な知識不足に陥っていることが大きな妨げとなってきた。その結果、不適切な誘発試験の設計と分析が行われてきた。
- 既存の疫学調査および誘発試験のほとんどすべてにおいて、必要な従属変数および独立変数の特定と測定が適切に行われていない。特に、
- 電磁場/高周波曝露(電場および磁場レベル、平均およびピーク電力密度レベル、関係する周波数、変調特性を含む)を適切な技術的詳細さで特徴づけること
- 「電磁波恐怖症」およびEHS関連の明らかな問題を自己申告したボランティアを効果的に除外するために、参加者を効果的に選別すること
- 誘発研究において、EHS反応の非線形性と影響をもたらす極めて低い曝露レベル(100nT未満)を認識せず、代わりにICNIRPおよびIEEEのガイドラインレベルに近い比較的高い曝露レベルを使用している。
- 誘発試験において、人工的な発生源から遮断された、被験者が快適に感じる極めて低い超低周波/高周波の試験場所を提供し、曝露と曝露の間に有害な影響を洗い流されるのに十分な時間(数時間ではなく数日)を確保すること。
- EHS研究は、現在の科学的根拠の乏しい疫学的手法や、人間の主観に基づく誘発研究から離れるべきである。その代わりに、心拍変動、脳波活動(fMRIや広帯域脳波など)、酸化ストレスに対する免疫反応などの生物学的パラメータの客観的測定を調査すべきである。これらのアプローチには、高度な設計と分析、および高性能の個人用曝露計が必要であることに注意すべき。
- 私たちは、WHOがEHSに対する理解を適切に再評価し、ヒトを含むあらゆる生物と低レベルの電磁場との相互作用メカニズムの証拠を示す膨大な科学的文献と一致させることを推奨する。
[1]文部科学省「量子ってなあに?」
[2]「鳥が進路を決める仕組みを再考すべきとき」nature 2012年4月19日
[3]「渡り鳥はどのようにして方角を知るのか」高島市新旭水鳥観察センター 2021年6月2日
[4]ジム・アル=カリーリ他『量子力学で生命の謎を解く』SBクリエイティブ
[5]出村政彬「動物たちの磁気感覚」日経サイエンス2022年8月号
[6]宮田英威「生物の磁場感受性と電磁過敏症」室内環境 22巻2号 2019
[7]「A mechanistic understanding of human magnetoreception validates the phenomenon of electromagnetic hypersensitivity (EHS)」International Journal of Radiation Biology 101巻1号 2025


