3月6日付『京都新聞』の「地域プラス」の欄で、京都府舞鶴市の電磁波過敏症発症者のMさん(25歳。記事中は実名)のことが、とても大きく取り上げられました。電磁波問題をほとんど取り上げない日本のマスメディアにあっては、たいへん珍しいと思います。
Mさんの記事が掲載されたきっかけは、Mさんによる同紙読者欄への投稿(昨年12月5日掲載)でした。「電磁波過敏症 目を向けて」という見出しの投稿でMさんは「全国には、私と似た症状に苦しむ人がいるのではないでしょうか」「過敏症に悩む私たちの現状にも、目を向けてほしいです」と訴えました。
この投稿を読んだ他の読者からの投稿が、1月26日付の同紙読者欄に掲載されました。長岡京市の80歳無職の方は「10年以上前、私は見知らぬ女性から突然、投稿の内容に似た話を聞かされました。女性の話はよく分からず、ただ聞くばかりでした。今、振り返って、申し訳ないことをしたと思っています」「少しでも早く、この過敏症について詳しく解明されるようにと願っています」。また、電磁波過敏症と化学物質過敏症を併発している宇治市の54歳無職の方は、「携帯電話やパソコンは持たず、テレビもほんの少ししか見ません。ガスコンロに内蔵されたコンピューターの電磁波にも反応するので、一口コンロで調理しています。明かりはできるだけ自然光で採ります。電車に乗ると、乗客が持つ携帯電話に反応して症状が出るので、2年ほど乗っていません」と、ご自身の困難な生活について紹介しています。
苦しむ人と手をつなぎたい
京都新聞の大きな記事は、Mさんの投稿を読んだ同紙の記者が関心を持ち、Mさんに取材して書いたようです。
記事によると、Mさんは16歳のときに摂食障害になり、孤独感に押しつぶされ自殺未遂をするまでに追い詰められました。しかし母親からの「ともに生きて」という手紙で自分が孤独でないことに気付きました。リハビリに取り組むなどで体調は安定してきましたが、20歳をすぎたころから電磁波に反応するようになってしまいました。Mさんは母に救われた体験から、今度は自分と同じ電磁波過敏症で苦しんだり、デジタル機器に不慣れだったりする人と手をつなぎたい、「あなたはひとりぼっちじゃない」と発信したくて京都新聞に投稿しました。
メディアは現実を伝えよ
私(網代)は新聞記者だった1990年代に、化学物質過敏症の記事をいくつか書きました。マスメディアで「シックスクール(学校の化学物質で子どもが体調を崩すこと)」という言葉を初めて使ったのは、おそらく私です。当時と比べて、最近の新聞は「科学的根拠(エビデンス)」にこだわるあまり、不自由な紙面になっている気がします。電磁波過敏症について議論があるとしても、苦しんでいる方々が大勢いることは現実です。この京都新聞の記事のように、電磁波問題についても、伝えるべき現実は積極的に報道すべきです。【網代太郎】