温故知新 シリーズ「あの頃こんなことがあった」(7) 山口県阿東町嘉年の闘い 山陰の古戦場城跡に50万V高圧線を計画(上)

電力施設計画概要図

大久保貞利(電磁波研事務局長)

 「温故知新(おんこちしん)」―故(ふる)きをたずねて新しきを知るこのシリーズ。これまで変電所問題(広島ルーテル教会の中国電力地下変電所)と携帯基地局問題(熊本市御領地区のKDDI基地局)を見てきました。
 今回は山口県阿東町嘉年の高圧送電線問題を取り上げます。

山口県北東部に位置する阿東町
 50万V(ボルト)というとてつもない超高圧送電線計画問題が起こった当時の阿東町(あとうちょう)は山口県の北東部にあります。阿東町は端から端まで40km以上ある広域の町です。人口は約6800人で面積の広さからすると過疎の町です。町の南にはそびえ立つ断崖とさざなみが起こる渓流で自然の奥深さを感じさせる景勝地・長門峡(ながときょう)があります。一方、町の北には〝長門富士〟の別名を持つ標高989mの十種ヶ峰(とくさがみね)があり、その山頂から日本海を望下できます。春夏秋冬を通じて色模様を変える自然豊かなところです。
 今年、とある事件で阿東町の近くの町・阿武町(あぶちょう)が有名になりました。新型コロナで住民税非課税世帯に「一世帯10万円」の臨時特別給付金が支給されることになりましたが、誤って24歳の男性の口座に町の全額4630万円が振り込まれた事件です。
 阿東町も阿武町も昔は同じ「山口県阿武郡」でしたが、阿東町は2010年に山口市に編入されました。

山口県の旧阿東町と阿武町

歴史ある嘉年地区で騒動は起こった
 阿東町は北端で島根県津和野町と隣り合います。その隣り合ったところに嘉年(かね)地区があります。つまり阿東町自体が山口県の北部にありますが、その阿東町の最北部に嘉年地区はあります。
 嘉年地区は、萩市に注ぐ阿武川の水源地であり、戦国時代に勇名を馳せた「嘉年勝山城合戦」の史蹟がある地区です。嘉年地区は山奥ゆえに歴史遺産が開発の波に洗われずいくつも残されました。地元では嘉年を「歴史公園」とすべく時代別の史蹟巡りコースを整備し、山口県も村おこしのためなので1500万円の助成金を出すことに決めました。
 そうした話が進んでいた1992年7月、中国電力が郷土のシンボルである勝山城跡の真横に高さ90m級の送電線鉄塔を建て、他にも歴史公園・古戦場巡りコースのど真ん中に35本の送電線鉄塔を張り巡らすという、ドエラい送電線計画を計画していることが判明しました。

中国電力は「極秘」に土地買収交渉を進めていたが…
 中国電力は送電線鉄塔建設予定地を買収するため社員を地権者に極秘に交渉にあたらせていました。しかしなんといっても山深い過疎の地域です。「お前の所にも買収話は来たか」「俺の所にも来た」と発覚し、声のかかった地権者を繋ぎ合わせると送電線ルートはおのずとわかります。嘉年地区の歴史を無視した送電線ルートに地元民は驚き、怒り、反対に立ち上がりました。
 嘉年地区の住民の思いを知るには、この地区の歴史を知る必要があります。

嘉年勝山合戦とは
 「嘉年勝山合戦(かねかつやまかっせん)」を紐解こう。今から450年以上前の室町時代末期から戦国時代にかけて、山陰のこの地域は大内氏・尼子氏の二大勢力が覇を競っていました。大内氏の重臣・陶隆房(すえ・たかふさ)は領主大内義隆に謀反し、義隆を自害に追い込みました。その余勢を駆って陶隆房は南の山口方面から押し寄せたのに対し、義隆の義兄に当たる津和野城主・吉見正頼が義兵を挙げ、北から押し寄せ、両軍が激突したのが「嘉年勝山合戦」です。
 吉見軍は嘉年の勝山城に籠り、南から来た陶軍は勝山城を囲むように4カ所に砦を築き、勝山城の真向かいに本陣を敷きました。その本陣跡が史蹟「陶寄せの陣(すえよせのじん)」です。
 半年にわたる激しい合戦は、城中に籠る家臣の娘の寝返りによる放火で,さしもの堅牢を誇った勝山城も炎上し落城しました(地元の伝承及び『陰徳堅太平記』より)。
 津和野城の出城である嘉年勝山城を陥れた陶軍は次に津和野本城へと攻め上りましたが、頑強な抵抗に遭い、やがて吉見氏と友好関係にあった毛利元就による厳島合戦(いつくしま合戦)を経て、陶隆房は滅ぼされ、最終的には津和野城主・吉見氏が逆転勝利するのです。

歴史公園づくり推進の中心の1人が龍昌寺住職
 こうした歴史をもつ嘉年を「歴史公園」として盛り上げようとした中心人物の一人が、地元の龍昌寺(りゅうしょうじ)住職の竹林史博(たけばやし・ふみひろ)さんです。龍昌寺は勝山城主の波多野家の菩提寺であったことも竹林さんを動かした大きな動機です。
 竹林さんの家に中国電力が鉄塔建設予定地の買収交渉に訪れたのは1992年7月です。この日を境に中電を相手とする「平成勝山城合戦」の火蓋が切られました。
 中国電力との闘いと昔の勝山城合戦は符号するところがいくつもあります。中電山口支店も陶軍も南の山口市(計画当時阿東町は山口市に編入されていませんでした)方面から嘉年にやってきました。送電線鉄塔の一つは、かつての合戦で陶軍が本陣を敷いた場所、つまり史蹟「陶寄せの陣」の真上に位置していました。波多野家菩提寺・龍昌寺の敷地内にも鉄塔は計画されました。
 やがて反対派の中から裏切りが出たのまで似ています。裏切りは何度かありましたが、一番はじめの裏切りは寺の代表総代(いわゆる檀家総代)からでした。代表総代は臨時総代会の場で「鉄塔建設は公益事業である。これに反対するのはけしからん。なぜ寺の土地を売らないのだ。」と主張しました。代表総代は司法書士で後日わかったことですが、3年前から中電の下請けとしてこの事業を推進していた人物でした。もちろん竹林さんはこの主張に従いませんでした。
 鉄塔は高さ90mのものも含めて平均85mの高さのものがいくつも建ちます。嘉年のど真ん中に高圧送電線が貫けば、自然豊かで歴史豊かな郷土の景観は台無しです。そのことに地元住民は許せないと立ち上がったのです。

嘉年全地区が結集し「中電鉄塔対策協議会」が発足
 中国電力が龍昌寺に土地買収で訪れた1週間後に反対請願書の署名運動を展開することを住民たちは決め、翌月の8月初旬、山口県庁記者クラブで記者会見を行いました。その記者会見を地元のテレビ、新聞各社は一斉に報道しました。そして9月に、嘉年全地区が結集し「中電鉄塔対策協議会」が発足しました。対策協議会は阿東町に「村はずれの山中を迂回するルートに変更するよう」要望書を提出しました。その後は町長を仲介役に対策協議会役員と中電との間で交渉が重ねられていきました。ニュース効果もあり、署名は嘉年住民1千人の約8割に及びました。2か月で嘉年の出身者・町内外のご縁の方々にも広がり、嘉年の人口の約2倍の2千人を超え、最終的には約3千人の署名を集めました。

はじめは電磁波問題への知識は全くなかった
 運動をはじめた当時、竹林住職らは電磁波問題について何も知りませんでした。龍昌寺は曹洞宗の寺です。島根県津和野にある曹洞宗の寺に反対署名をもらいに訪れたところ、そこの住職がハム(アマチュア無線)愛好家で、彼から「あなたたちは〝景観破壊〟をもっぱら問題にしているが、ハム仲間で白血病が多いのは知られた事実だ。送電線問題は電磁波の影響こそ重要なのだ」と知らされ、この時から竹林住職は電磁波関連資料の収集をはじめました。
 とはいっても、山深い里で電磁波関連資料を集められるはずがない。そこで竹林住職は東京の国会図書館まで出向き、東京の親戚の家に滞在し1週間ほど国会図書館に通い続けました。ここらへんの行動力に頭が下がります。
 東京に来て3~4日経ったある日、ふと新聞の朝刊の広告欄を見ると、ある週刊誌の「電磁波特集」の大見出し記事が目に留まりました。早速、その週刊誌を購入し、山梨県でリニアモーターカーに反対している住民となんとかコンタクトをとり、資料をもらいました。

嘉年の計画は50万V超高圧送電線 
 このことをきっかけに、竹林住職は中国電力の嘉年を通る送電線計画を調べ始めました。
 嘉年を通る中電の送電線は50万Ⅴ超高圧送電線で、「50万Ⅴ送電線第二ルート」と名付けられていました。資料図を見てわかるように既に九州と中国地方は「新山口変電所」までルートはできていました。そしてこの新山口変電所と、鳥取県溝口町にある西日本最大の変電所「日野変電所」を結ぶ全長255kmのルートが「50万V送電線第二ルート」なのです(最終的には大阪まで続く)。
 こうしたことから、反対運動はやがて島根側と山口側が結びつき、1992年11月、「高圧線・山陰ネットワーク」が結成されるのです。

普通の高圧送電線は15万4千Vか6万6千V
 高圧送電線は、低い方から3万3千V、6万6千V、15万4千V、27万5千V、50万V、です。日本にはまだ100万V送電線はありません。東京電力は早く100万V送電線を敷きたがっていますが、そう簡単ではありません。おそらく大きな反対運動が起こるでしょう。6万6千Vや15万4千Vの高圧送電線が数的には多いです。
 ボルト数が高まると電磁波公害が起こるので、送電線鉄塔は高くないと地上の被害が増えます。考えてみてください。高さ85mの巨大な鉄塔がいくつも並ぶ圧迫感を。家の近くに20mの携帯電話基地局が建っても威圧されます。その4倍以上の高さの鉄塔がそびえ、太い送電線が鉄塔と鉄塔を結ぶのです。
 山深い里で、自然と歴史を生かした「歴史公園」づくりでふるさとの良さをアピールしようとした嘉年の住民の怒りは当然です。
 私(事務局長)は以前「廃棄物処分場問題全国ネットワーク」の事務局に10年ほど従事していました。山深い水源地に巨大な産業廃棄物処分場が計画されます。都会で出た大量のごみを田舎に捨てようというのです。都会のエゴで過疎地が蹂躙されるのです。超高圧送電線も同じです。都会で大消費される電気のために、過疎の地方が苦しめられるのです。多数のエゴに少数が虐げられるいわれはありません。嘉年の住民の反対運動は正義の闘いです。

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