厳しい状況下に負けない明るさはどこからくるんだろう
群馬県伊勢崎市に住む葉山奈美さん(仮名・会員)を訪ねました。葉山さんは、電車とくに新幹線には怖くて乗れないほど電磁波過敏症(ES)の症状が重いので、2023年2月に私から伊勢崎市まで出向いてお話を伺いました。
葉山さんは、家の近くに携帯電話基地局が建っており、撤去に向けて当会に相談してきたのが知り合ったきっかけです。基地局を巡る相談は多くありますが、私が驚いたのは、自力でこれまでに25回も勉強会を開いてきたことと、送られてきた資料の豊富さにあります。もともと私は好奇心が人に負けないほど旺盛な質ですが、ESが重く、ただでさえ生活自体が困難な状態でありながら、これだけの活動を展開している葉山さんってどんな人なんだろう、直接会って確かめたい、という気持ちを抑えることができませんでした。
当日、葉山さんの家で、産休で里帰りしていた娘さんと生後3か月の可愛い赤ちゃんにも会うことができました。
ESの発症は劇的だった
今から5年半前の2017年6月末、当時葉山さんは福祉施設でパートの調理員として働いていました。身障者を対象とした福祉施設で、利用者に供するため冷凍したお粥を電子レンジで温めるためスイッチボタンを押した直後、葉山さんは頭に太い槍が刺さったような激しい痛みに襲われました。それまでも電子レンジは使っていたのであまりにも突然でした。その後もものすごい倦怠感と頭痛で立っているのもつらい状態が何日も続きました。
ESの発症の出方は人それぞれでしょうが、葉山さんの場合は一瞬だけ浴びた強い電磁波がきっかけで劇的に発症しました。施設は利用者が10人程度の小規模施設で、電子レンジが特別業務用で大きいというものでなく、普通の大きさでした。しかしこの劇的な発症により、葉山さんは、それまであたり前に過ごしていた日常が暗転し、5年半経った今も「ふつうの生活」を取り戻すことができないでいます。
それからいろんな電気製品に反応する体になった
医師からは「電磁波過敏症(ES)と化学物質過敏症(CS)です」と告げられました。きっかけは電子レンジですが、それだけでなく、スマホ、テレビ、パソコン、光回線、電話子機、ファクス付き電話機、炊飯器、ミキサー、フードプロセッサー、食洗器、ドライヤー、ステレオ等、といった具合にそれまで使えたものが使えなくなりました。使い方を工夫すればなんとか使えるものは、冷蔵庫、アイロン、扇風機、エアコン、電気こたつ、照明等です。使い方の工夫とは、照明ならば光度を下げるとか、他の機器なら長時間使用しないとか、離れるとかです。
化学物質では、殺虫剤、除草剤、防虫剤、インク、ファンヒーター、油性ペン等により体調不良になります。
体調不良は、その物質の種類や浴びている量、強さ、時間によって異なります。スマホだと、頭痛、目の奥の痛み、声のかすれ、胸の圧迫感、です。電磁波を長時間浴びると、脱力感で動けなくなってしまいます。除草剤だと、口の中の痺れと首を絞められるような息苦しさを感じます。その場合は逃げる以外ありません。
今思うとESの兆候はあった
葉山さんは、中学校や特別支援学校(旧養護学校)の正規教員を33年間勤めていました。教員を辞める前の3年間は特別支援学校の学部主事でした。市立の養護学校が県立の特別支援学校に衣替えする特別な時期の学部主事で、システム変更に伴う激務の3年間でした。過労が大きく影響したのでしょうが、そのころパソコンを立ち上げるとめまいがして立っていられない時がありました。2013年~16年ごろです。そうした激務や管理業務の大変さが重なり、葉山さんは学部主事を3年勤めて退職しました。
退職して1年間は家で過ごす生活をし、その後、福祉施設のパート調理員として勤めることになりました。今振り返ると、パソコンの立ち上げ時にめまいがあったのはESの前兆だったのかもしれません。そして、電子レンジが「身体全体の負荷(トータル・ボディ・ロード)」許容量の限度を超すオーバーフローの引き金になったのでしょう。
ある時、家から130mに楽天の基地局を見つけた
発症して3年以上経った2020年10月20日ごろ、家から直線距離で130mぐらいの近場に高さ約15mの携帯電話基地局が建っているのに気づきました。基地局は大通りに面した民家の駐車場に建っています。驚いて駐車場の持ち主に聞くと、楽天モバイルの基地局で、まだ稼働はしていないという。葉山さんが持ち主に重度のESなので撤去をお願いしたら、翌々日楽天の担当者から電話があり、「葉山さんの家からの距離では電磁波の影響はない」と断言します。「それでもというなら診断書を出せ」と言います。そこでかかりつけの医師に相談したら「楽天の嫌がらせや総務省の圧力が怖い」という理由で診断書はもらえませんでした。
じつは葉山さんの連れ合いは保健所に勤務する医師なので、連れ合いに診断書を書いてもらったら「家族の書いたものはだめだ」と楽天は拒否してきました。しかたがないので、別の医師に診断書を書いてもらい楽天に送りましたが、それには「ドコモの基地局もあるでしょう」と言います。不誠実極まりない態度です。
そのころからそれまで好意的だった基地局の地権者の態度が一変しました。おそらく楽天が地権者にあれこれ入れ知恵したのでしょう。それ以降、楽天との交渉も地権者との話し合いもまったく進まなくなりました。
署名集めや行政への働きかけ等様々な努力はした
葉山さんにとっては「このままでは生活ができなくなる」問題です。それから葉山さん家族の必死な闘いが始まりました。
行政関係に対しては、群馬県議会議員や伊勢崎市議会議員との面会、伊勢崎市長との面会、伊勢崎市会議員全員への手紙、等です。
楽天に対しては、楽天モバイル社長と三木谷浩史楽天社長への内容証明付き要望書、署名活動(地域署名約170人、友人・知人署名約300人)、楽天以外の携帯会社(ドコモ、ソフトバンク、KDDI)には「自宅近くに基地局を建てないよう」との内容証明付き要望書、等です。
署名活動には、連れ合いも娘も全面的に協力してくれました。ここらへんの家族の理解と協力の関係は素晴らしいです。私どもにくる相談で、「夫が協力してくれない」「家族が理解してくれない」という声は多く聞かれます。
そんな中で学習会が始まった
葉山さんの取り組みにも関わらず楽天基地局は稼働しました。稼働後、葉山さんは目の奥をカミソリで切られるような痛みや頭痛や胸の圧迫感、倦怠感に襲われました。「最低限の家事をこなすのがやっとの状態」という生活に陥りました。
体を守るため、シールドカーテンを取り付けたり、無農薬や有機の食品を摂ったり、それまでも取り組んでいた対策も同時に強化しました。
そうして基地局が建ってから8か月が経った2021年6月26日に葉山さんの自宅で、記念すべき第1回「電磁波環境を考える会」が始まりました。参加者は葉山さん含めて4人です。以後多い時でも7~8人の細く長い学習会がこれまでに25回も続きました。
第1回の学習会呼びかけの文章は以下のように始まっています。
「先日は署名にご協力いただき、ありがとうございました。署名数は約170筆に及び、去る2月から3月にかけて楽天モバイルに提出しましたが、未だ何一つ文書での返答はありません。もちろん携帯電話基地局はそのままです。(中略)今後デジタル化が進み、ますます電磁波の飛び交う生活環境になっていくでしょう。目に見えない電磁波とどうしたら健康を損なうことなく付き合えるのか、難しい問題かと思います。私自身の体験を踏まえ、この問題に向き合い、少しずつ学んでいこうと考えています。(後略)」
文章は手書きです。葉山さんの熱意が伝わり、第7回の学習会チラシからは友人がパソコンを使って作っていただけるようになりました。
参加者が実践している症状と対策
学習会の資料はとても参考になります。とくに参加者が実際に取り組んでいる電磁波対策は具体的です。
表1と表2は、資料に掲載された参加者の電磁波対策です。
学習会を長く続けるには楽しくやる
ふつう学習会を続けていると飽きが来て長く続きません。葉山さんたちの会は、サロン風に食事の時間をとるとか工夫しています。「ミステリーツアー」という謎の催しも今までに7回開いています。何をするかというと、市内外の古墳や神社等を訪れその歴史について語り部さんから話を聞く会です。友人を通じて語り部さんを紹介してもらいました。「温泉の会」は2回実施しました。さすが温泉の県です。県内の温泉に入った後、ランチを食べる日帰りの会です。2023年1月からは「ガーデニングの会」もスタートします。その名のとおりの会です。もちろん電磁波環境を考えるのが主テーマですが、会うことの楽しみも同時に追求します。
明るさを失わないことが素晴らしい
伊勢崎市は、群馬県で高崎市、前橋市、太田市に続いて4番目の都市で人口は約20万人です。葉山さんの家から赤城山がくっきりと見え、名物の赤城おろしの風が吹いていました。
ESになると生活が制限され、ややもすると気がふさぎがちになります。葉山さんと会って感心したのは、とにかく明るく前向きなことです。素晴らしいことだと思います。
たとえば自分自身が重い風邪で気分が落ち込んでいる時、はたから「気持ちが肝心だ。病気に負けずに明るく振舞おう」と言われたら、その人を張り倒したくなります。そういう時の自分を考えても、葉山さんの明るく前向きな姿勢は素晴らしいと思います。
いろんな思いと宿題を抱えて帰路につきました。【大久保貞利】