大久保貞利(電磁波研事務局長)
山陰地方を貫く50万Vの超高圧送電線を敷こうとする中国電力の構想に、反対の意志を鮮明に掲げた山口県阿東町嘉年(かね)地区の住民たち。1993年9月に山陰ネットワークを結成した竹林史博龍昌寺住職の下に電磁波問題に関する資料データがだんだん貯まるようになってきました。中電鉄塔対策協議会が発行する『会報』『経過報告』もどんどん充実してきました。『会報』『経過報告』は新聞折り込みで継続的に配布されます。これは反対運動にとって、大きな武器です。
中電の言い分のいい加減さが次々と明らかに
中国電力の当初計画では、阿東町(あとうちょう)に全部で35基の送電線鉄塔が建ちます。高さは1基約85mで、400~450m間隔で鉄塔を建てるというものです。住民たちが資料データを独自に集め学ぶにつれて、中電の言い分のいい加減さが次々と明らかになってきました。
第一に、中電は「送電線鉄塔は台風にも大丈夫な設計だから倒壊の心配はありません」と言っている点について。
電力会社が資金を出している電力中央研究所(電中研)坂本雄吉正員は「(1992年の台風19号で)九州、四国及び中国地方で鉄塔の倒壊及び折損39基、電線の断線77条が発生していると報告しています(T.IEE JAPAN Vol.112-B,No.9)。送電線は倒れるのです。
これまで80年間電磁波は人体に影響ない?
第二に、「送電線は80年以上前から建設されており、これまで電磁界(電磁波のこと)により人体等の影響を与えた例はない」と言っている点について。
スウェーデン国立カロリンスカ研究所が1960~85年の26年間、高圧送電線下300m以内(送電線から150m以内)に1年以上居住する人を疫学調査したら、磁場2mG(ミリガウス)以上で小児白血病2.7倍、3mG以上で同3.8倍の発症リスクがある、との結果が出ています。そもそも創立以来50年の中電が、どうして80年の安全性を証明できるというのでしょう。送電線の電磁波は人体に影響を与えるのです。
第三に、「中電の電力需要から今後とも安定して伸び続けるものと想定し、電力安定供給のために50万V送電線第二ルートが必要」という点について。
『朝日新聞』(1993年4月10日付)は「九州電力は1997年以降、原発1基分相当の100万kWの電力を関西電力に供給することが明らかになった」と報じています。つまり九州でつくった電力を関西まで送るということで、その中間ルートとして中国電力の第二ルートが予定された、と考えられます。決して「中国電力の安定供給」のためではありません。
人家の少ない地域へのルート変更は金がかかるから不可能、だと!
第四に、中電は「(人家の少ない地域への)ルート変更は金がかかる(中電の試算では約12億円余分にかかると主張)から不可能」と主張している点について。
島根県石見町では、町長を先頭とするルート変更要求に対して中電はその要求をのみ、人の住んでいない山あいルートに大幅に変更しています。「不可能」とはよく言ったものです。住民が本気に立ち上がれば、金がかかってもルート変更はするのです。
中電の汚い表工作、裏工作による離反・裏切りの発生
反原発住民運動に対して、電力会社が謀略まがいの妨害活動をすることは、様々な形で曝露されています。大規模な地域運動を展開した嘉年の住民たちに対する中国電力の表工作、裏工作も半端なく行われました。そのため住民内部の離反や裏切りも出ました。
竹林住職が実際経験したことですが、「親戚で同じ僧職に従事する伯父のところに、中電社員が来て,『嘉年の運動をやめるように説得してくれないか』と頼んできたり、山口県内の曹洞宗の上層部の人に働きかけ、圧力を加えようとした」そうです。竹林住職が山梨のリニアモーターカーに反対する住民たちと協力して全国ネットワークを作ろうと会合を開いた1週間後に、阿東町役場の総務課長が「竹林さん、大きなことをしようとしているんですね」と話しかけてきました。おそらく東電関係者が情報を取り、中電に伝え、中電が町当局に報告したのでしょう。
町議への中電の裏工作を裏付けるかのような議会のやりとりもありました。以下は1994年5月30日の町議会特別委員会でのやりとりです。
町議「この問題が起きてから議員各人に、中国電力から協力要請がなされたと聞くが、20人の議員の内、何人の議員に協力を依頼されているのか。
中電「……(絶句、返答なし)」
委員長「まず、そういう事実があったのか?なかったのか?」
中電「特定の議員から質問を受けたことは2,3あるが、それ以外はない。」
この特別委員会を退席する中国電力幹部を執拗に追ってインタビューしたのがテレビ朝日『ザ・スクープ』「検証電磁波」の冒頭映像です。1995年3月18日に放映されました。
日蓮宗系の某宗教集団が怪文書をまく
署名活動が活発化していた時期、日蓮宗系の某宗教集団が20人ほど来て、阿東町全戸3500戸に5~6回、反対運動を中傷する怪文書を手配りしました。もちろん中電との関係を証明できるわけではありませんが、この宗派は強烈な反左翼運動をすることに特徴があり、過去にも造船や国鉄(現JR)の労組ストライキ反対運動をしたことがある団体です。そんな集団が阿東町に突然現れビラをまき、また風のように去ったのをみて、「中電のまわし者」と住民たちが受け取るのも当然ではないでしょうか。
(上)で紹介しましたが、嘉年を戦国時代の史蹟の地として「歴史公園」にするため県は1500万円を補助することを決めていましたが、これが突然中止になりました。県が一度決定していたことを中止するのは異例です。県担当者はしきりに首をかしげましたが、地元ではその理由をうすうす察していました。この件は、県の阿東町担当者の尽力で、代わりの事業指定により400万円支出することでなんとかしのげました。
対策協議会会長が推進派に寝返る
中国電力の一連の揺さぶりで住民の中に混乱も生まれました。鉄塔反対の中核である「中電鉄塔対策協議会」の会長が、それまで「子供たちのために郷土の景観を守りたい」と言っていたのに、「郷土の活性化のために」と鉄塔建設積極推進派に鞍替えし会長職を降りてしまいました。
中電の当初計画である「勝山城ルート」に対し、住民側は景観を害さない「権現山裏ルート」を提案しました。中電の裏工作が功を奏したと見え、対策協議会会長は中電が当初案を取り下げ新しく「台山ルート案」を言い出してきたので、この案を受け入れたらどうだろうか、と対策協議会の場で言い出しました。この中電の「台山ルート」でも景観破壊に変わりありません。対策協議会に出席していた住民は会長を除いて全員「台山ルート」に反対し「権現山裏ルート」を支持しました。そのため、会長は辞任し協議会は解散することになりました。しかし解散の翌月の同年(1992年)5月、「第二次中電鉄塔対策協議会」が発足しました。
土地買収で一部地主が寝返り
50万V送電線鉄塔は高さが平均85m、鉄鋼の重量は52トンもあります。そのため一基当たり300坪の底面積が必要です。こんな巨大な鉄塔が阿東町に19基建ちます。(当初案は35基だったが変更)。19基のうち6基は町有地に建つ予定です。嘉年地区の住民の多数は鉄塔建設に反対でしたが、金が絡むため地権者の中には買収に応じる人も少なくありません。こんな例もあります。反対者の家の真上にわざわざ送電線ルートを変更し、数百m先の別の場所に中電が1軒新築しその人にその新築物件を供与した例が出ました(九州電力も九州で50万V送電線計画を推進しているが、こんな露骨な買収工作は九州だけでなく全国でもない、と宮崎県で反対活動をしている住民が言ってました)。
一方、反対派の梁山泊・龍昌寺の裏山敷地にかかっていたルートは、中電がルートを約50mずらし敷地からはずれました。買収工作が効かないと中電は考えたのでしょう。
町有地の売却が大きな焦点に
そんな中で、6基を占める町有地の売却の行方が焦点になってきました。町議会に設置された特別委員会も結局中電案に反対し、町長も町議会議長も景観を害さないルートへ変更するよう県に申し入れしました。
慌てた中電は、最後の切り札として県内選出の国会議員に手を回しました。この国会議員の圧力で次々と町議会議員が寝返り一挙に町有地は中電に売却されることになりました。
そして送電線鉄塔は建ったが
町有地が中電に売却され地権者も中電に土地を売ったため、1995年に鉄塔建設工事はついに始まりました。
いったん工事が開始になったら最後、住民たちが差止め裁判を訴えようが何をしようが、次々と既成事実が積み重ねられ、嘉年に巨大な送電線鉄塔がどんどん建てられていきました。熊本市の御領の携帯電話中継塔問題裁判の時に紹介しましたが、所詮、裁判所(司法)は社会統治機構の一部であり、権力者側になびきます。
電力会社は全国に10社ありますが、この国の電力会社は地域独占企業です。どの電力会社もその地域のトップレベル企業として地域経団連の支配企業の地位を築いています。米国には3000近く電力会社があり、競い合っています。原発事故を起こしても、国が兆を超す金を東京電力に補助します。電力自由化になっても、発電部門は一定自由化されましたが、送電部門は10社が手放しません。スマートメーターを見ても体質は変わっていません。「電力は国家なり」という意識が国にも電力会社にもあります。
そんな巨大な中国電力に対し、果敢に闘った嘉年の住民たちの取り組みは色褪せるものではありません。(つづく)