大久保貞利 (電磁波問題市民研究会事務局長)
岩波書店『世界』2014年3月号所収
1 それはマンハッタンの街灯から始まった
エジソンが発明した電灯を使って1882年にニューヨーク市マンハッタン街の59カ所で街灯を点したことが、電磁波による社会的被害としての「電磁波公害」の始まりだといわれる。エジソンは当初からより安全な直流発電を主張し、一方より効率性の高い交流発電を主張したテスラとの間で「安全vs効率論争」を繰り広げたが、結果は効率性を主張するテスラの交流発電が勝利し、今日に至っている。
電磁波問題の火付け役は、1979年3月に『アメリカン疫学ジャーナル』に掲載された「ワルトハイマー疫学論文」(リーパーとの共著)である。コロラド州デンバー郊外で行われた疫学調査をもとに配電線周辺で小児白血病発症リスクが2.98倍になるとしたこの論文が、「電気は安全か否か」を巡るその後の論争のきっかけとなった。だが、ワルトハイマー論文は一部の専門家の間で話題になった程度で、より広く話題になったのは1988年の「サビッツ疫学論文」である。ニューヨーク州の高圧送電線敷設を巡る反対運動が契機となって、ニューヨーク州環境衛生局は電力会社に費用を負担させ、ワルトハイマーと同じデンバーでより詳細な追跡調査を実施させた。それがサビッツ論文である。ニューヨーク州環境衛生局の意図はワルトハイマー論文の否定にあった。しかしサビッツ論文は、3mG(ミリガウス)で小児全がん発症リスクが1.42倍、小児白血病発症リスクが1.92倍、とワルトハイマ―論文の正しさを追認する結果となった。サビッツが著名な学者であったため、サビッツ論文の注目度はワルトハイマー論文の比ではなかった。
このサビッツ論文が1992年の「カロリンスカ報告」に繋がった。スウェーデン国立カロリンスカ研究所は、スウェーデン政府の協力により電力会社等が資金提供をする形で、大規模な疫学調査を行った。この調査は、1960~85年の26年間、国内にある22万V(ボルト)と40万Vの高圧送電線周辺(送電線から片側150m、両側で300m以内)に1年以上居住するすべての人を対象とする、文字通りの大規模調査だった。ちなみにカロリンスカ研究所はノーベル医学生理学賞選考機関である。結果は、2mGで小児白血病発症リスク2.7倍、3mGで同3.8倍、でいずれも統計的に有意だった。このカロリンスカ報告を踏まえて、1995年にスウェーデン政府は「送電線から150m以内に住宅を建てない、住宅から150m以内に送電線は建てない」という慎重なる回避政策を採用した。
2 WHO(世界保健機関)が動き出した
「環境政策はまず北欧が先行し、WHO(世界保健機関)が追随する」といわれる。スウェーデン政府の慎重なる回避政策の導入がきっかけで、WHOは1996年に「国際EMFプロジェクト」を設立する。EMFとはElectric and Magnetic Field、つまり電磁場(電磁波と同義)のことである。プロジェクトの目的は「EMF曝露による健康影響の可能性の科学的解明」である。プロジェクトには現在世界54カ国が参加している。
電磁波のうち極めて周波数の高いガンマー線やX線や光の仲間(紫外線・可視光線・赤外線)を除く、広義の「電波」といわれる領域の電磁波は、大きく分けて高周波と低周波(特に普通の電気で使われる極低周波)の二つある(表1)。近年では「中間周波数」も注目されているが、健康への影響の研究は手つかずである。プロジェクトの契機となったのが極低周波を扱ったカロリンスカ報告であったため、WHOは当初、5年後の2000年までに「低周波(極低周波)の環境保健基準」を策定することを目標とした。しかし1990年代後半から高周波を使う携帯電話が猛烈な勢いで世界的に普及したため、WHOは当初の計画を5年延長し、10年後の2005年を目標に「低周波と高周波の両方の環境保健基準」を策定する方針に変更した。
(表1)低周波と高周波の分類表 | ||
分類 | 周波数帯 | どんなものが該当するか |
低周波(極低周波) | 1ヘルツ~1万ヘルツ(1~10k) | 送電線、配電線、家庭配線、変電所、発電所、テレビ、パソコン、エアコン、電気毛布、ホットカーペット、蛍光灯、冷蔵庫、洗濯機、換気扇、オーディオ等すべての電気製品、鉄道。 |
中間周波数 | 上下の間の周波数帯(10k~10M) | IH調理器は2万ヘルツ~9万ヘルツを使うが、環境保健基準の対象外で盲点となっている。しかし実際は強力な電磁波を発生させる機器である。 |
高周波 | 1千万ヘルツ~1億ヘルツ(10M~100G) | 電子レンジ、携帯電話、PHS,スマホ、無線LAN,アマチュア無線、無線ドアフォン、基地局、レーダー、コードレスフォン、スマートメーター、他に最近はインバーター式蛍光灯や液晶テレビの画面コントロールで高周波が利用されている。 |
WHOの「環境保健基準」は1973年に創設されたが、汚染因子の曝露と健康影響の関係を評価し曝露限界を設定するためのガイドラインを提供することを目的にしている。特に電磁波だけをターゲットにしたものではない。はじめての環境保健基準は1976年発表の水銀に関するものであった。
低周波(極低周波)の「環境保健基準」は2007年6月に発表された。この場合の低周波の領域は「1ヘルツ~10kヘルツ」(k=千)を指す。当初目標の2000年次からすると7年遅れ、方針変更後からしても2年遅れの発表であった。
WHOは環境保健基準策定にあたって、WHOの下部独立機関であるIARC(国際がん研究機関)に発がん性度合いの評価を委嘱している。下部独立機関とは奇異な言葉だが、IARCはWHO傘下の組織だが予算的に独立している。研究の自由を保障するためである。だから下部独立機関なのである。
IARCを簡単に紹介する。設立は1965年。発がんメカニズムの解明や原因の特定を行い、ヒトに対する発がん性強度を評価することで発がん頻度の抑制に寄与することを目的にしている。ドゴール仏大統領(当時)が「各国の軍事費を1%下げて、その分をがん対策に振り向けよう」と呼びかけてIARCは設立された。仏、英、独、伊、米の5カ国が発起国で、現在は日本を含む22カ国で構成されている。
3 発がん性評価「2B」の持つ意味
IARCは発がん性リスクをグループ1~グループ4に分類している。IARCが委嘱する国際的専門家で構成される評価作業部会が特定の環境汚染因子を評価分類する。グループ2は「グループ2A」と「グループ2B」に分かれるので、計5段階となる(表2)。
(表2)IARCの発がん性分類 | ||
分類 | 分類基準 | 対照物質・因子 |
1 | 発がん性がある | アスベスト、カドミウム、ホルムアルデヒド、ガンマ線、X線、ベンゼン、ダイオキシン、塩ビ、アルコール飲料、タバコの喫煙、ラドン(107) |
2A | おそらく発がん性がある(probably) | PCB,ベンゾピレン、紫外線A,B,C、アクリルアミド、ディーゼル排ガス,アドリアマイシン、シスプラチン、太陽灯(日焼け用ランプ)(59) |
2B | 発がん性の可能性がある(possibly) | クロロホルム、鉛、メチル水銀化合物、極低周波磁場、高周波電磁波、プレオマイシン、コーヒー(※)、DDT,4塩化炭素、アセトアルデヒド(267) |
3 | 発がん性を分類できない | エチレン、アンピシリン、水銀、フェノール、キシレン、茶、コレステロール(483) |
4 | 発がん性を分類できない | カプロラクタム(ナイロンの原料)(1) |
※コーヒーは膀胱がんと関係する |
IARCは2001年6月に低周波(極低周波)磁場を「グループ2B」(発がん性可能性あり)とする「発がん性評価」を発表した。21名の評価委員全員が「2B」を支持した。IARCの発がん性評価は「ヒトに対する発がん性分類の概要」(表3)に基づいて行われる。評価にあたっては動物実験より疫学研究(疫学調査)の証拠が優先される。たとえば、疫学研究で十分な証拠(Sufficient)があれば、たとえ動物実験で証拠なし(Lack)でもグループ1評価は動かない。
(表3)IARC(国際がん研究機関)の「ヒトに対する発がん性分類の概要」 | ||||
動物実験
疫学調査 |
十分な証拠がある (Sufficient) |
限定的な 証拠がある (Limited) |
不十分な 証拠しかない (Inadequate) |
証拠はない (Lack) |
十分な証拠がある | グループ1 | グループ1 | グループ1 | グループ1 |
限定的な証拠がある | グループ2A | グループ2B | グループ2B | グループ2B |
不十分な証拠しかない | グループ2B | グループ3 | グループ3 | グループ3 |
証拠はない | グループ2B | グループ4 | グループ4 | グループ4 |
グループ1=発がん性あり、2A=おそらく発がん性がある(probably)、2B=発がん性の可能性がある(Possibly)、3=分類できない、4=非発がんの可能性 |
2001年6月にIARCが低周波(極低周波)磁場を「2B」としたのは、疫学研究(疫学調査)で「限定的な証拠」が示されたためだ。採用された証拠は、スウェーデンのアールボムらの「4mGで小児白血病発症リスク約2倍」の研究結果と、米国のグリーンランドらの「3mGで同約2倍」(図)の研究結果である。二つともプール分析(複数研究のデータを集めて行った分析)による疫学研究だ。
このIARC評価を受けてさらに総合的な検討を加えた結果が、2007年6月にWHOが発表した「低周波(極低周波)電磁波の環境保健基準」だ。英文で446ページに及ぶモノグラフ(研究報告文書)として発表された。この中で私たち市民にとって最重要部分は「健康リスク評価」である。
電磁波の健康影響には「急性影響(短期影響)=刺激作用及び熱作用」と「慢性影響(長期影響)=非熱作用」がある。因果関係を示す証拠がある急性影響については、ICNIRP(国際非電離放射線防護委員会)が設定したガイドラインがあり、WHOはこのガイドラインを推奨している。ICNIRPは1992年にIRPA(国際放射線防護学会)から独立した専門組織でWHOの協力機関の一つである。ICNIRPのガイドラインは多くの国で基準値として採用されている。日本政府もこのガイドライン値を基準値にしている。ICNIRPのガイドラインは環境保健基準発表当時、1000mG(現在2000mG)と高い値である。しかし、ICNIRPは決してガイドライン以下での健康影響を否定しているわけではない。ICNIRPは「因果関係証拠主義」のため、急性影響を基にガイドラインを決めているが、慢性影響を否定しているわけでなく、「さらなる研究が必要だ」としている。
問題は、因果関係を証明しにくい慢性影響(長期影響)である。前述したように、IARCは3~4mGで小児白血病発症リスクが約2倍になる疫学調査を基に低周波(極低周波)磁場を「2B」と評価した。この扱いについてWHOの環境保健基準は次のように述べている。「結局のところ、(疫学調査結果は)因果関係を示すほどの証拠は不十分だが、懸念(心配)を抱くには十分な証拠がある」(Thus,on balance the evidence is not strong enough to be considered causal,but sufficiently strong to remain a concern=原文)。WHOの環境保健基準はこのように、証拠は不十分としながらも一歩踏み込んだ表現をしている、「発がん性可能性あり(2B)」評価の持つ意味は小さくないのである。
この意味をよりわかりやすく表現したのが、低周波(極低周波)環境保健基準の「第12章 防護策」の次の部分である。「慢性影響は急性影響ほど証拠が確立しておらず不確実な段階である。しかしながら、懸念を抱くには十分な証拠なので、予防的アプロ―チが適している」。
この予防的アプローチについて、環境保健基準の「第13章 勧告(推奨)」はこう述べている。「①行政は一般人と労働者に対し曝露限度を超えないようにするための電磁波測定を含む防護計画を策定すべき、②曝露低減をめざし、きわめて低コストの予防策を実行すべき、③施設の新設や電気器具などの設計には、きわめて低コストの電磁波防護策を行え、④既存の器具や機器に対しては、工学技術的方法など、低コストまたはコストのかからない方法で曝露低減を検討すべき、⑤国は利害関係者に事前に情報提供するなど、効果的でオープンなコミュニケーション戦略を実行すべき、⑥自治体は電磁波発生施設の建設計画にあたっては、業界・自治体・住民が相互に十分な話し合いができるようにする等の改良をすべき、⑦政府や業界は電磁波の健康影響の不確実性を克服するための研究計画を促進すべき」。
おわかりであろう。「2B」(発がん性可能性あり)評価は、不確実な段階ではあるが、少なくとも低周波(極低周波)磁場の「100%安全論」は否定したのである。だから、あまり金のかからない方法で電磁波の曝露低減を工夫しましょう、変電所や送電線やリニア鉄道のような電磁波発生施設の新設計画にあたっては、住民も含めて相互に十分な話し合いをもつようにしましょう、新規の電気製品の開発の際は電磁波曝露低減に配慮しましょう、というのが低周波(極低周波)電磁波環境保健基準の勧告なのである。
この勧告の積極的意義をいまだに無視し何の規制にも動こうとしないでいるのが、日本政府、特に経産省であり、電力会社、電機メーカーなどの業界なのである。
4 高周波電磁波はどうなっているのか
一方、高周波電磁波の問題が国際的にも喫緊の課題になったのは、いうまでもなく携帯電話の爆発的普及が原因である。携帯電話は便利なツールであるからこそ、ここまで普及してきた。しかし「もし、携帯電話から発する電磁波が健康に影響するとしたならば」、WHOも各国政府も無視できない問題となる。公衆衛生にとっては第一級の課題となるであろう。冒頭に書いたように、当初WHOの国際EMFプロジェクトが低周波(極低周波)電磁波のみをターゲットにしていたのを、急遽高周波もターゲットに加えたのは、一にも二にも携帯電話の爆発的普及であり、それに対する公衆(一般人)の漠然たる不安が背景にある。
高周波とは一般的に「10Mヘルツ~100Gヘルツ」(M=百万、G=十億)の周波数領域を指す。高周波電磁波の健康影響が問題になった端緒は軍事レーダーである。敵航空機の早期発見のためにレーダーは開発された。実戦で大いに活用されたのは第二次大戦である。米軍の依頼でレーダーの健康影響を調査したエール大学レーダー研究所は1944年の報告書で、「戦時中に限り、1日4時間レーダー操作に従事したら、残り4時間は休憩すべき」としている。4時間従事でも問題があると懸念したからこそ、「戦時に限り」としたのである。これはレーダーの健康影響の深刻さを物語っている。1954年には有名なレーダー死亡事故が起こっている。軍事基地でレーダーの前を不用意に横切った40歳の男性がレーダー波を大量に浴びた。男性は直後に腹痛と嘔吐を引き起こし、結局11日後に死んだ(1957年マクローリン論文)。
テレビ波、ラジオ波でも健康影響を示す論文がある。1996年のオーストラリア・ホッキング論文である。同国最大の電信電話会社テルストラの顧問医ブルース・ホッキングらは、シドニー郊外の3つのラジオ・テレビ放送タワーの周辺(4km以内)に住む14歳以下の子どもたちと、放送タワーから離れた(12km以遠)ところに住む同年齢の子どもたちを比較研究した。ホッキング論文によれば、小児白血病発症リスクは1.58倍、小児白血病死亡率は2.32倍で、リンパ性小児白血病発症リスクは1.55倍、同死亡率は2.74倍である。どちらも統計的に有意な値であった。ホッキング論文は放送タワーの安全性に疑問を呈したのである。
東京タワーやスカイツリーについて、事業者は「国の基準値以内で問題ない」としているが、東京タワーやスカイツリー周辺の大規模疫学調査を、政府や事業者は自らが費用を負担して実施すべきであろう。その際の疫学調査は国や事業者から独立した専門家の手で行うべきである。データの科学性、客観性の保証として当然の措置だ。そうした調査もしないで「安全だ」といっても説得力はない。
5 WHOの高周波への対応―インターフォン研究
レーダーにしても、ラジオ塔・テレビ塔にしても高周波被曝の地域範囲はある程度限定される。しかし携帯電話となると話は別だ。携帯電話はまさに国民的被曝の問題である。
WHOの国際EMFプロジェクトが高周波を対象に加えたのは1998年である。WHOはこの年、IARC主導のインターフォン研究(国際的な携帯電話に関する研究)を開始した。インターフォン研究ははじめの2年間で研究内容を検討した後、「携帯電話と脳腫瘍の関係をみる国際研究」に乗り出した。国際研究とは、IARCの指導下で13カ国が同じテーマで共同研究を行うというものである。13カ国とは、英国、フランス、ドイツ、日本、イタリア、スウェーデン、カナダ、オーストラリア、デンマーク、ノルウェー、フィンランド、ニュージーランド、イスラエルで、米国を除く旧西側の主要国がすべて参加した。共同研究にしたのには理由がある。脳腫瘍は発症数が1年間で人口10万人当たり12~16人と稀な病気である。そのため、各国で調査したデータをさらにIARCがまとめてプール分析し最終報告を行うようにしたのである。「プール分析」とは、低周波(極低周波)磁場に関するアールボムらやグリーンランドらの研究でもふれたが、それぞれ研究条件が違う個別研究をあたかも「同一の条件の研究」であるかのように扱い分析する研究手法である。そうすることで「稀な病気」の研究対象数を増やし、より客観的な分析を導き出そうという手法である。
インターフォン研究が対象とした脳腫瘍は、髄膜腫、神経膠腫(グリオーマ)、聴神経腫、耳下腺腫の4種類である。どれも携帯電話を頭に密着させるとできやすいと疑われている腫瘍である。疫学調査にはコホート研究と症例(患者)対照研究があるが、インターフォン研究が扱ったのは症例対照研究である。タバコと肺がんの関連を調べる場合、「タバコを吸う人(曝露群)」と「タバコを吸わない人(非曝露群)」に分け、双方の肺がん発症率を比較することで「タバコを吸うと肺がんになる率が高くなる、あるいはそうならない」という結果を得る。こういう疫学手法をコホート研究という。しかしこの方法は長期間を要し、対象数も多く必要なため、金がかかるし、稀な現象は扱いにくいという欠点がある。携帯電話のように短期間で爆発的に普及すると、いままで携帯電話を使わなかった人が途中から使うようになったり、アナログ型からデジタル型に携帯電話の仕様が変わったりするため、研究対象の一貫性が確保されにくい。そのためコホート研究には向かない面が多い。不使用グループが10年後にはほとんど使用グループに変わってしまったら、発症リスクなど出せなくなるからだ。
もう一つの疫学研究手法が症例対照研究である。症例対照研究は、携帯を使うか使わないかで分けるのでなく、「脳腫瘍を発症している人のグループ(患者=症例)」と「発症していない人のグループ(母集団=対照)」に分け、それぞれのグループで携帯電話を使用しているか不使用かの率を出し、その相互比較で、携帯電話使用による脳腫瘍発症リスクを導き出すという手法である。患者(症例)がすでに存在している状況から出発するので、多数の症例を集めることが可能で、金もコホート研究ほどかからない。もし携帯電話と脳腫瘍に関連があるとするならば、脳腫瘍を発症したグループのほうが、携帯電話を使う人の割合が高くなる。高くならないのであれば、関連はないと判定される。
6 高周波も「発がん性可能性あり」(2B)と評価
WHOの低周波(極低周波)電磁波環境保健基準は2007年に発表されたが、その前段階としてIARCが2001年に「低周波(極低周波)磁場は発がん性可能性あり(2B)」とする「発がん性評価」を発表したことはすでに述べた。高周波電磁波の場合は、2011年5月31日にIARCが「発がん性評価」を発表した。その評価は低周波(極低周波)磁場と同じく「発がん性可能性あり(2B)」である。
IARCは、フランス・リヨンで2011年5月23日~30日までの7日間にわたって、世界15カ国から集められた専門家30人により、高周波の発がん性評価作業部会を開いた。評価の対象となった疫学調査データは、1件のコホート研究と5件の症例対照研究である。しかし1件のコホート研究(デンマーク)は誤分類が多いと却下され、2件の症例対照研究は携帯電話の使用期間が短い等の理由で却下された。残った3件の症例対照研究のうち、前述したインターフォン国際研究と、スウェーデンのレナート・ハ―デルらの研究の2件が主要な評価の対象となった。他に一部聴神経腫瘍分野で日本の山口直人教授(東京女子医大)らの研究が評価の対象となった。ここではインターフォン研究とハーデル研究を紹介する。
インターフォン研究が論文として初めて公表されたのは2010年5月18日である。この研究が対象とした携帯電話不使用者の症例(脳腫瘍発症患者)数は1042人、対照(母集団=未発症者)数は1078人。一方携帯電話使用者の症例数は1666人、対照数は1894人、である。疫学では、ある事象の起こりやすさを二つの群(曝露群と非曝露群)を比較して示すが、その比較割合を「オッズ比」という。インターフォン研究の結果は、携帯電話不使用者のオッズ比を1とすると、携帯電話使用者のオッズ比は0.81(95%信頼区間0.70-0.94)となった。携帯電話を使う人のほうが使わない人よりリスクが約2割減少するという結果だ。しかし、携帯電話使用累積時間が1640時間以上という長い時間携帯電話を使うグループで比較すると、オッズ比は1.4倍(同1.03-1.89)となる。こちらのオッズ比は、「携帯電話使用は脳腫瘍発生に関係する」という結果だ。疫学では「95%信頼区間」をクリアしているか否かを重視する。「95%信頼区間」は1以上でクリアとみる。したがって、1未満の場合はデータとしての信頼度は低く扱われる。前述した「携帯電話使用者のオッズ比0.81(95%信頼区間0.70-0.94)」、つまり携帯電話を使うほうがより安全とする結果は「信頼度が低く」、「携帯電話使用累積時間1640時間以上のオッズ比1.4倍(同1.03-1.89)」は「信頼度が高い」(有意)と扱われる。さらに「通常電話を当てている側での脳腫瘍発症」に限定し、「1640時間以上使うようなヘビーユーザー」の場合は、オッズ比は1.96倍(同1.22-3.16)となり、これもまた統計的に「信頼度が高い」データだった。
要約すると、すべての対象者では結果があいまいだが、ヘビーユーザーや電話を通常当てている頭部の側だとリスクが有意に高まる、というわけだ。インターフォン研究の責任者エリザベス・カーディスは「調査対象者の10%を占めるヘビーユーザー(累積時間1640時間以上)のグループで神経膠種リスクが上昇しているし、特に携帯電話を通常当てている側頭部(したがって電磁波の曝露が高い)で腫瘍発生度が高い」(インターフォン研究発表記者会見での発言)ことを認めている。
IARCが「2B」評価した二つの主要な疫学研究のもう一つは、スウェーデンのレナート・ハーデルらの研究である。ハーデル研究は、1997~2003年にスウェーデンがん登録センターに登録された20~80歳の生存脳腫瘍患者2437人(悪性腫瘍1008人、良性腫瘍1429人)と死亡した悪性腫瘍患者464人、合わせて2901人を症例グループとし、一方それぞれの患者一人に対して人口登録名簿に載っている健常者のうち年齢、性別、地域をマッチングして抽出した健常者と、死亡した悪性腫瘍患者には死亡登録名簿から同じようにマッチングして抽出した通常死亡者、の二つのグループを対照グループとした症例対照研究である。ハ―デル研究では、携帯電話使用者と不使用者の比較で、神経膠種(グリオーマ)発症リスクは1.3倍(95%信頼区間1.1-1.6)となっている。携帯電話の使用開始からの年数は「1~5年」で神経膠種発症リスクは1.1倍(同0.9-1.4)、「5~10年」で1.3倍(同0.99-1.6)、「10年以上」で2.5倍(同1.8-3.3)である。10年未満の95%信頼区間のデータは有意ではないが、10年以上のリスク2.5倍は有意である。一部データが有意でないので限定つきだが、「携帯電話を長く使えば使うほど、リスクが上昇する」傾向がハーデル研究から見えてくる。ハーデル研究はワイヤレス電話を対象にしており、携帯電話だけでなくコードレス電話も同様にリスクがあるとしている。
レナート・ハーデルは1990年代から「携帯電話・コードレス電話等のワイヤレス(無線)電話はリスクがある」とする研究を何回も発表してきた研究者である。とうとうIARCひいてはWHOも彼の研究を認めざるを得なくきた、といえよう。
さて、低周波(極低周波)磁場を「発がん性可能性あり(2B)」とした証拠は疫学研究(調査)のみだったが、高周波では動物実験でも「限定した証拠」が示された。他の遺伝毒性発がん物質と組み合わせた動物実験六件のうち四件で発がん増加が確認された。評価作業部会はこれらの研究を「高周波電磁波曝露と発がんの因果関係」を示す「十分な証拠」と扱った。しかし、ラットやマウスに二年間高周波電磁波を曝露した実験や、発がんしやすくさせた動物を用いた実験については、前者では「発がんを示す証拠は認められない」、後者では「発がんを増加させるという一致した証拠は認められない」と扱われた。結局、トータルでは動物実験結果は「限定的な証拠」となった。
表3(IARCの「ヒトに対する発がん性分類の概要」)をもう一度見てほしい。高周波電磁波は、縦軸の疫学研究で「限定的な証拠がある」で、横軸の動物実験でも「限定的な証拠がある」に当たる。その結果、高周波電磁波の発がん性評価は「2B(発がん性可能性あり)」となった。つまり、「グループ2B」の中で最上位に位置した評価である。このことは、さらに追加的な証拠が出てきたら、高周波電磁波は確実に「おそらく発がん性がある(2A)」に評価格上げになることを意味している。
携帯電話のヘビーユーザーを、インターフォン研究では「累積使用時間1640時間以上使用者」としている。1640時間以上を10年にならすと1日当たり30分になる。今どきの若者は、1日1時間以上携帯電話を使用するのはざらである。1日30分程度ではとてもヘビーユーザーとはいえまい。若い人ほど「死ぬまでの」携帯電話使用時間が長くなることは確実である。私たちは、携帯電話使用と健康影響について、もっと深刻に考えていく必要があるのではないだろうか。
7 高周波規制に動き出した欧州各国
IARCによる高周波電磁波の「発がん性評価」が終わったので、次はWHOによる「高周波電磁波の環境保健基準」の番だ。2013年に発表の予定だったが、作業が遅れているようだ。今年2014年に発表となるのか、もっと遅れるのかはまだわからない。「環境保健基準」が出ることに反対する業界等の圧力は当然予想される。また、WHOの「環境保健基準」はあくまで勧告(推奨)であり、それを採用するかどうかは各国の判断にゆだねられる。
欧州のいくつかの国はWHOの高周波環境保健基準が出る前からすでにいろんな対策を採用している。たとえばベルギーでは、2013年8月30日付官報で、「7才未満の子どもの携帯電話使用を促進するような、いかなる形態の広告も禁止するし販売も禁止する」「販売店で携帯電話を販売する時、及び携帯電話の広告をする場合は、SAR(携帯電話から出る電磁波エネルギー量)をA~Eの5段階で消費者にわかるように表示しなければならない。その際、『あなたの健康を考えましょう。携帯電話は控えめに使い、ヘッドセットを使うようにし、SAR値が低い携帯電話を選びましょう』の文言を添付しなければならない」の2点を王令として告示した。
日本政府は低周波(極低周波)環境保健基準が出ても対策をネグレクトし続けている。高周波でも同じ轍を踏むのであれば、「電磁波環境後進国」と批判されても仕方あるまい。(下に続く)