本当のバリアフリーって何だろう?

 1月下旬にふとしたことで転倒し、右足の膝から下を強打しました。その結果、まともに歩くことができなりました。ケガからやや快復し、痛みがやや和らいだ頃から杖を突きながらではありますが、なんとか歩け、外出できるようになりました。そこで感じたのは、足の不自由な人にとって、東京がこんなにも移動するのに困難な町であるかということです。
 そこで今回、東京は本当にバリアフリーなのか、ということについてを考えたいと思います。

1、バスに簡単に乗れない!
 足をケガしていると、近距離はなんとか歩けますが、少し距離があると公共交通機関を頼ることになります。そこでまずバスに乗ろうとしました。するとステップが高くてなかなかバスに乗れないことに気づきました。バスのステップは通常の階段以上の高さがあります。健康で普段はまったく感じない「高さ」をいきなり痛感し、杖で思い切り地面を押して体を持ち上げるようにしてなんとか乗れましたが、かなり体力を使いました。腕の力があればいいのですが、そうでない人にはバスでさえ、大きな壁です。最近ではバスが傾いて高低差が小さくなる車種もありますが、乗る側はそのバスを選ぶことはできません。

2、自動改札が狭い
 駅などの自動改札は、一度に多くの人の通過を処理できるよう改札の間口を狭くして数を増やしたいのは分かります。しかし、狭い改札は杖を付きつつ通るのにはやや苦労する場合が多くあります。もちろん、広い間口の改札はありますが、数が少なく、端っこにあり、そこに行き着くのもかなりの労力を要する場合もあります。特にラッシュの時間で、津波のように人が押し寄せてくる場合は、広い改札方面への斜め移動は杖を突く身には非常に困難です。

3、エスカレーターは昇りは多いが、下りが少ない
 今回一番痛感したのは下りエスカレーターが少ないことです。長い下りの階段を杖を突きながら降りていくのは非常に困難です。そんな長い下りの階段の前に立つと、まさに奈落の底に落ちる感覚でさえあります。下りエスカレーターがなくてもエレベーターがあるではないかという声が聞こえて来そうですが、そのエレベーターが駅の端っこにあることが多いのです。足が不自由だと、離れた場所に行くのも億劫になります。仕方なく、階段をゆっくり降りることもありましたが、足をかばいつつ降りていくので、足以外の場所、肩や腕に力が入り、疲労してしまいました。階段の昇り降りは電車で移動となると何度も繰り返すことになります。毎回こういうことが続き、気が滅入ったのも事実です。

4、スピードが早い
 これはバリアフリーとは関係ありませんが、東京はあらゆるスピードが早く、体が不自由な人にとって、この流れについていくのは大変ではと単純に感じました。

5、案内がわかりづらい
 駅など、どこに行けばエスカレーターがあるのか、エレベーターがあるのかの表示が分かりづらく、右に行ったらエスカレーターがあるかと思ったら左だったとか、その逆もあり無駄な動きを余儀なくされることが多くありました。日本人で日本語が読めるにも関わらずそう思ったので、外国人にはどうなのだろうと心配になりました。

6、席を譲ってくれ温かい気持ちに
 ただ、悪いことばかりではありませんでした。電車に乗ると多くの人が席を譲ってくれました。杖をついていたことで、目立っていることもありましたが、これにはかなり助けられました。自分では席を譲ってもらうことを目的としていませんでしたが、できるだけ優先座席近くに乗るようにしていました。そうすると、多くの人が立っていても、席が空いている場合もあるのです。電車に優先席というより、優先スペースとしてある程度の場の確保ができていれば、かなり安心して電車に似れるではないかとも思いました。席を譲ってくれたら、体が楽になることはありますが、それ以上に気持ちが温かくなりました。

◆本当にバリアフリー?
 体が不自由なことで起こる支障は本人にしかわからないことがあります。本当にバリアを感じる人の声を聞いたのかと感じるバリアフリーも多く見かけました。例えば階段の横にスロープがついているが、それがかなり急勾配なところや、かなり遠回りが必要なところなどがそうです。これらには一応バリアフリーの対応をしましたというある種の偽善を感じ、本当にバリアフリーにしたいにかと聞きたいくらいです。
 物理的バリアフリーに関してもこのような問題があるのですが、これは弱者に対して、そのような人がどう思い、どうしてほしいのかという考えが及んでないのではと思ってしまいます。私が不自由を感じたのは、たった1ヵ月程度です。だから本当は偉そうなことがいえる立場ではないのは重々承知しています。

◆いろいろな状態の人の気持ちを
 電磁波に関しても同じようなことが言えるのではないでしょうか。電磁波に対して過敏な人がいるのは事実です。そういう人がどう感じるか、どうしてほしいかをもう少しだけでいいので考えてほしいと思うのです。もちろん、電磁波だけでなく、化学物質などに関してももそうです。
 現在は不寛容社会といわれているようです。自分と違うとか、普通とは違う、マイノリティ、弱者に対して、許容できない社会になっているという意見もあります。
 その原因はインターネットやSNSが発達だとする考えもあるようですが、そんなに単純なものではないと思います。そういう側面もあるでしょうが、個々人の問題だけでなく、メディアが一つの問題を大きくして煽っているようにも感じます。
 「もっと弱者の立場になって考えましょう」と単純に言うのではなく、もし、自分の立場であったらどうだろうと想像をして、対応してみることも肝要ではないかと思います。そうすれば、立場や環境、考え方の違う人の気持も少しは理解できるのではないでしょうか。
 かつて「ダイバーシティ(diversity)」という言葉がメディアなどで飛び交いました。多様性という意味ですが、もっと広い意味で多様性を受け入れようという考えで使われているようです。
 また2012年には東京・台場にはダイバーシティー東京という商業施設も開業しています。その言葉も今はどこかへ消えてしまった感があります。
 今一度多様性を受け入れ、自分の立場であったらどうかを少しでいいので想像すると、もう少し穏やかな社会になるのではと自戒を込めて考えました。【鮎川哲也】

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