51年目を迎えたカネミ油症問題の課題

大久保貞利(カネミ油症被害者支援センター(YSC)共同代表)

50周年で二つの記念集会開催

11月17日に開かれた五島市での記念集会

 日本国内最大の食品公害事件・カネミ油症事件は1968年に起こった。昨年2018年は事件発覚後50周年の年で、二つのエポックメイキングな集会が開かれた。一つは11月17日に開かれた長崎県五島市の記念集会で参加者は200名以上を数えた。集会には被害者・支援者・一般市民に加え、坂口力元厚相、上田長崎県副知事、野口五島市長らが参加した。もう一つは12月1日、兵庫県高砂市で開かれたYSC・被害者団体・高砂市民の会の3者共同主催による市民集会。ルポライター・鎌田慧氏を記念講演者に迎え75名が参加した。

12月1日に開かれた高砂市での市民集会

 なぜこの二つの場所かというと、カネミ油症被害者は事件発覚当時保健所に被害を届けた人は14600人以上でそのうち認定者は約1800人だった。(現在の認定者は2300人)。認定被害者は西日本一帯に広がるが、そのうちの2割以上が五島列島(福江島と奈留島)に集中していた。「たかさごや~、このうらふねで」で有名な高砂市にはPCB(ポリ塩化ビフェニール)を製造したカネカ高砂工業所がある。日本のPCBの9割以上がここで生産された。

カネミ油症は終わっていない
 カネミ油症事件は、北九州に本社のあるカネミ倉庫㈱が製造販売した米ぬか食用油にPCBとジベンゾフラン(ダイオキシン類)が混入しそれを食した人に全身の吹き出物、頭痛、手足のしびれ等の症状が出た事件である。はじめは一過性の食中毒と思われたが、猛毒ジベンゾフランが体内の脂肪組織に蓄積され、一生涯の不治の病となり、さらに2世・3世にも被害が伝わり、今も多くの被害者は苦しんでいる。症状はがんをはじめ“病気のデパート”と言われるほど多岐にわたっている。鎌田慧氏も講演で「恥ずかしながら、カネミは終わった話と今日まで思っていた」と述懐していた。

二つの疑問
 食用油に毒物がなぜ混じったかというと、米ぬか油は特有の臭いがあるため脱臭する必要がある。直接熱すると米ぬか油が変質するので、ステンレス金属製蛇管に250度に熱したPCBを流し、この熱で間接的に脱臭することをカネミ倉庫は考え出した。PCBが燃えにくい油であることを利用したのだ。これが米ぬか油に混入した。混入した原因は「ピンホール説」と「工事ミス説」の二つだ。ピンホール説とは、高温のPCBから塩素ガスが発生しその塩素ガスが水と混じり塩酸となり金属管を腐食させたというもの。実際PCBが流れる金属管から三つの小さな穴(ピンホール)が見つかっている。工事ミス説は脱臭塔内の温度を測定する水銀温度計が不具合を生じたので温度計の保護管先端部分を広げる工事をした。その工事が杜撰だったのでそこからPCBが混入したというもの。二つとも正しい。その意味でカネミ倉庫の犯罪は明白で刑事事件としてもカネミ倉庫の責任は立証されている。
 しかし二つ疑問が残る。一つは米ぬか油の製造工程の途中でダーク油が作られる。文字通り黒っぽい油だ。これはニワトリの餌になる。カネミ油症事件は1968年10月10日に朝日新聞が報道し、翌日全メディアが追報道し世間に知られた。しかしその年の2月にニワトリが数十万羽斃死する事件が起こった。カネミ倉庫が作ったダーク油が原因とわかった。この時点で止めれば人間への被害は小さくて済んだ。しかしダーク油は動物のエサなので農林省(当時)の管轄、米ぬか油は食用油なので厚生省(当時)の管轄といった国の縦割り行政の弊害で、両者は連携せず事態を悪化させた。これは国の犯罪だ。
 もう一つはPCB製造者のカネカがカネミ倉庫にPCBの毒性を説明していなかった問題だ。PCBが毒性物なら食用油の製造過程で使うことは危険である。一番悪いのはカネミ倉庫だが、大企業カネカの製造物責任も問われる。カネカは「当時はPCBに毒性があることを知らなかった」としているが、1953年に野村茂博士が『労働科学』でPCBの毒性に関する論文を発表している。海外でもPCB毒性による事件がその当時すでに発生していた。しかし当時日本にPL制度(製造物責任制度)が確立していなかったのでカネカを追及できなかった。

他の食品公害事件より低い補償
 2012年に国会で「カネミ油症救済法」が成立した。その内容は医療費はカネミ倉庫が支払い、その他に生活費(調査協力金という名目)として月2万円(年24万円)を国とカネミ倉庫が負担するというものだ。他の公害事件で水俣病は1600万円~1800万円を特別調整手当として支給し、サリドマイド事件では900万円~4000万円を賠償金として支払っている。それに比べカネミ被害者への補償は低すぎる。水俣病で有名な故原田正純医師は「ミナマタよりカネミ油症のほうが健康被害はひどい」と言っていた。

今後の課題
 カネミ油症問題は、当初裁判で連戦連勝だった。カネミ倉庫だけでなく国にもカネカにも被害者は勝利した。しかし1986年5月福岡高裁判決でカネミ倉庫の責任は認めるが、国とカネカに責任はないという逆転判決が出て事態は一変した。その年の10月に最高裁が上告審の口頭弁論を開いた。通常最高裁は口頭弁論を開かないで結審する。開くということはこれまでの判決をひっくり返す場合に限る。この段階で被害者(原告)は最高裁で敗訴することを知った。そのため原告(被害者)は提訴を取り下げた。そしてカネカとの最高裁和解に応じた。カネカとの和解内容は「カネカに責任はない。しかし被害者に106億円支払う」というものだ。
 国はそれまでの地裁での敗訴から被害者に一人約300万円の仮払金を支払っていた。ところが原告が裁判を取り下げたため「債権管理法」に基づき「仮払金を返還しろ」と迫ってきた。そのため自殺者が何人も出た。
 YSCが取り組んだのは、2007年にまず「仮払金返還特例法」を成立させ、返還を事実上しなくていいことにさせたことだ。次に2012年に「カネミ救済法」を成立させた。
 しかし問題は山積している。そこで今後の課題だが3つある。一つは認定被害者の救済内容充実だ。年24万円は少なすぎる。二つは膨大な未認定者を認定し救済することだ。三つは二世、三世の救済だ。他にカネカの道義的責任を問う問題と被害者の治療方法の研究解明がある。

カネミ救済は人類救済に通じる
 カネミ油症は猛毒のダイオキシンとPCBを人類史上初めて食べてしまった悲惨な事件である。当時はPCBの毒性はあまり知られていなかった。PCBは塩素系合成化学物質だ。ジベンゾフラン(ダイオキシン類)はPCBの副産物だ。
 今、日々膨大な合成化学物質が作られている。それが安全かどうかはすぐにはわからない。PCBは「燃えない油」で安価で安定し安全で汎用性があるとして、発見者はノーベル賞をとった。最盛期にはノーカーボン紙にまで使われた。今は製造禁止である。農薬DDTも農業生産を飛躍的に高め「夢の農薬」ともてはやされた。しかし虫だけでなく人間にも有害とわかり今では日本では使われていない。アスベストもはじめは「安全で安価で安定性がある」として学校校舎にも使われた。それがいまでは肺がんの原因とわかり使用中止となった。今安全といわれる合成化学物質が今後も安全とは限らないことをこのことは教えている。
 カネミ油症被害者の治療方法を研究し解明していくことは、こうした今後の新しい被害者を救済していくことに通じる普遍的な意味をもつ。
 翻って、電磁波問題にも通じる問題だ。「電気が危ない」ことを多くの人は知らないでいる。本当は発見者のエジソンは「直流発電ならいいが、交流発電は危険だ」と言っていたのだが、経済性、効率性の論理で斥けられた。電磁波は第二のアスベストである。電磁波の問題を提起することは世間の“常識”と闘うことでいばらの道である。しかし「よくないものはよくない」と言い続けることは大事なことである。
 私にとってはカネミ問題も電磁波問題も底流では同じと考えている。

 

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