『バイオイニシアティブ報告書2012』について

上田昌文さん(NPO法人市民科学研究室)

 このたびウェブサイトで公開された『バイオイニシアティブ報告書2012』は、副題を「生物学にもとづく高周波ならびに超低周波の公衆被曝基準のための理論的根拠」とする、10カ国にわたる29名の、政府機関や企業から独立した科学者たち(主として学術誌『生体電磁気学』を刊行する生体電磁気学会に所属するメンバーであり、以前にその学会長を務めた者が3名含まれる)が分担執筆したレビュー論文を束ねたもので、2007年に出版された最初の版(以下「2007年版」と呼ぶ)の改訂版にあたる(各章を構成する論文は、外部審査員が草稿をチェック・修正しはするが、通常の学術誌が行うような査読が行われているわけではない)。29名のうちには、これまでも世界に先駆けて踏み込んだ電磁波規制への勧告を行なってきた、ロシア非電離放射線防護委員会の代表や、欧州環境機関の上級顧問も名を列ねている。21章1500ページからなるこの浩瀚な報告書は、2006年から2011年にわたって発表された約1800本の関連論文にも新たに検討を加えた、電磁波健康影響に関する最新最大の「レビュー事典」になっている。

「一刻も早く厳しい規制を」
 2012年版の特徴をひとことで言うなら、2007年版発刊時に比べてさえ、私たちを取り巻く環境中の電磁波発信源が著しく増加し、低レベル恒常的曝露の度合いがますます高まっている、という現実に危機感を募らせ、「これまでよりもはるかに厳しい電磁波曝露の規制を一刻も早く打ち立てることが必要である」「なぜなら、胎児や乳幼児をはじめとする脆弱性の高い人々への影響を示す証拠を含めて、その要求を裏付ける科学的証拠が以前よりも増大し、確かなものとなってきているからだ」としている点だろう。
 改定された主だった内容は、遺伝子転写の異変(5章)、遺伝毒性とDNA損傷(第6章)、ストレス蛋白質の生成(第7章)、ヒト幹細胞における染色体凝集とDNA修復能の喪失(6章、15章)、フリーラジカルの除去因子(特にメラトニン)の減少(5章ほか)、神経毒性(9章)、発がん性(11~17章)、精子の形態と機能への深刻な悪影響(18章)、胎児・新生児・次世代への影響(18章と19章)、妊娠時の携帯電磁波曝露によって生じる恐れのある胎児の脳ならびに頭蓋骨への影響(5章と18章)、そして自閉症と電磁波曝露との相関(多くの章)、などである。

極めて弱い高周波でリスクのおそれ
 全般にわたって強調されているのが、とりわけ、マイクロ波を含む高周波の恒常的曝露においては、2007年版で指摘されていたレベルよりもさらに低い電磁波強度において、健康リスクが生じる恐れがあるかもしれない点である。それは、2007年版に報告されたものより3桁も低い(1000倍ほど小さい)レベルであり、具体的には、2012年版報告書の冒頭のカラーチャート「携帯基地局、Wi-Fi、無線インターネットPC、スマートメーターなどからの高周波による低い強度レベルでの曝露がもたらす生物影響の報告」に一覧としてまとめられている(そこでは、μW/c㎡を単位とする電力密度でいうと、なんと0.0001レベルで「生物影響あり」の報告数件からはじまって、500μW/c㎡に至るまでの数十事例が列挙されている)。
 こうした極めて低いレベルでの生物影響がほんとうに健康影響につながるとするなら、例えば携帯電話をマナーモードにしたままポケットに入れたりベルトに掛けたりしているだけで、あるいは膝の上でPCを操作しながらネットにつないでいるだけで、それが習慣になっている男性では精子の死滅や損傷は免れないことになる。事実この報告書では、第18章をこの問題にあてて(精子に関連した10数件の研究をとり挙げ)、高周波曝露によるリスクの確証度が高いことを強調している。

DNA、神経系へ影響の報告が増加
 DNA損傷やとりわけ神経系への悪影響についても、携帯基地局電磁波レベルの曝露においても生物影響が生じているだろうこと(それが健康影響の原因になっているかどうか確定できないものも含めて)を示す報告事例が、2007年版よりもずっと多くなっている。もちろんそうした多数の症例に関する事例のなかでも、もっとも重視されているのは、インターフォン研究などで扱われ、その後IARC(国際がん研究機関)の「2B(発がんの可能性あり)評価」につながった、携帯電磁波と脳腫瘍(特にグリオーマ(神経膠腫))との関係だ。序論では「X線などの放射線での発がんでは通例潜伏期が15年から20年ほどあるのに比べて、携帯電磁波では10年かそこらで(累積1640時間以上の曝露といったヘビーユーザーでは)発症すること」やハーデルらの疫学研究で「幼少期から携帯電話を使用してきた若者がそうでない若者と比較して20歳代でのグリオーマの発症が5倍にもなる」ことを指摘して、その発がん性の“強さ”にも注目を促している。また、コードレスフォンも携帯電話と同様の影響があるとして、詳しく扱われている。

基地局周辺レベルによる健康影響も
 脳腫瘍以外にも、低周波ならびに高周波の曝露と関係しているだろう深刻な疾病として、白血病、神経損傷による疾患、アルツハイマー病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)がとりあげられている。自閉症の発症リスクを高める可能性を示す強力な証拠がある、として、自閉症の子供がいる家庭はもとより、妊娠中もしくはこれから妊娠するだろう女性でも、子どもが自閉症を患うリスクを減らすには、電磁波曝露を減らすべきだと勧告している。さらに、乳がん、免疫機能の低下によるアレルギーの発症や炎症、流産、そして心疾患など増加傾向にある疾患との相関も指摘している。携帯基地局周辺地域でみられるような低レベルでの恒常的な高周波曝露がもたらす、睡眠障害や記憶・認知機能障害、脳波の異変にも言及している。

幅広い専門家による検討を
 この報告書では、感受性の高い人々として、胎児、乳幼児、児童、高齢者、慢性病患者、そして電磁過敏症発症者を挙げている。そうした人々が低レベル恒常的曝露によって何らかの健康被害を受けることを示唆するデータが増えてきたことも反映して、例えば、高周波に関してこの報告書が推奨する制限値が、2007年版では1000μW/㎡(=0.1μW/c㎡)だったものが、2012年版では3~6μW/㎡(=0.0003~0.0006μW/c㎡)に強められたのも大きな特徴だ。むろんこれは、「高周波の非熱作用に関しては健康影響を示す科学的証拠が十分に固まっていない」(したがって、この報告書で扱われているほとんどすべての疾病はもとより、IARCが認めた脳腫瘍の発症の可能性でさえも、「関連ありとは認められない」)とする、非電離国際防護委員会のガイドラインをはじめ、多くの国々で採用されている電磁波防護基準からすれば、この勧告値は数万分の1から100万分の1も小さい(それだけ厳しい)値であり、「到底受け入れがたい非現実的な値」となるだろう。
 しかし、誰がほんとうに“現実的”であるのだろうか?
 予防的対応を重視すべきか(科学的証拠の厳密な立証は無理があるので、「影響あり」の兆候を重く受け止めて、対応策を出す)、科学的証拠の確証性(「影響あり」「影響なし」の両方を公平に検討し、因果関係立証の厳密性を期す)を重視すべきか―電磁健康影響をどうみるかは、引き裂かれたままのこのどちらの立場に立つかの問題に収斂し、およそ議論らしい議論がなされてこなかったとも言える。『バイオイニシアティブ報告書2012』は前者の立場に立つものであるが、そこに集められた科学的データの多様性と膨大さにおいて、類をみないものとなっていて、この報告書で強くその意義が言及されている最近のいくつかの研究事例については、これまでの通り一遍な反論ではすまされないものがあるように思われる。医学・生物学・疫学など幅広い多数の専門家たちからの本格的な検討が加えられるに値する報告書だと言えるだろう。

※「2007年版」の「公衆のための要約」の章を翻訳したものを、市民科学研究室のホームページに掲載している。

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