化学物質過敏症(MCS)、電磁波過敏症(EHS)の診療、研究を行う医師や研究者も多数会員になっている日本臨床環境医学会の第28回学術集会が6月、都内で開かれました。第1日の冒頭、大久保千代次・電磁界情報センター所長が「教育講演」の講師として登壇し、EHSはノセボ効果(後述)によるもので電磁波曝露のせいではないなど持論を展開しました(会報119号既報。なお、この病気の呼称は様々ありますが、ここではEHSとします)。
電磁界情報センターは「中立的な機関」と自己紹介していますが、それはウソで、電磁波問題の利害関係者である電力会社からの出向者らで運営され、資金を出す賛助会員もその多くは電力会社などであると見られます。当然、電力会社などに不利になる情報があっても、それを積極的に広報して市民に注意を呼びかけたりはしません。逆に、経済産業省から委託を受けたり、または独自に、全国各地で講演などを行い「電磁波による健康影響は確認されていない」と説いています。そのような組織の代表者を、なぜこの学会が招いたのか、学会内外にさまざまな憶測を招いたようです。
大久保さんの講演後の質疑応答の際、東北大学の本堂毅さんが大久保さんに質問や反論をしましたが、問題点が多過ぎて時間が足りませんでした。
学会で発表するレベルではない
そこで、大久保さんの講演への見解について、本堂さんにインタビューさせていただきました。本堂さんは、講演について全体として「学会で発表する水準には到底達していない。大久保さんには、電磁場や科学の専門家としての学識がない」と厳しく批判しました。
ここでは、本堂さんが当日指摘した論点ごとに、その問題点などをまとめました。【網代太郎】
本堂毅(ほんどう・つよし)さんプロフィール 東北大学大学院情報科学研究科修了。京都大学基礎物理学研究所研究員などを経て、現在は東北大学大学院理学研究科准教授。その間、文科省在外研修員としてフランス・キュリー研究所へ留学。専門は理論物理学(統計物理)、生物物理学、科学技術社会論など。日本臨床環境医学会会員で、EHSの研究にも取り組んでいる。 |
電磁波過敏敏症発症者への曝露実験の評価
大久保さんは、電磁波とEHSの因果関係について、いくつかの論文を示しました。その中で、スイスのRöösliによる2008年の論文[1]も取りあげました(Röösliを大久保さんは「ルースリー」と読みましたが、本堂さんはoにウムラウト(上に点二つ)が付いているので「レスリー」が正しいと指摘しました)。
Röösliは、過去8件行われた電磁波曝露実験結果のデータをまとめて再分析するシステマティック・レビューを行いました。曝露実験とは、EHSを訴えている人たちと、そうでない人たちに対して、実験室で電磁波曝露とニセ曝露を繰り返すような実験です。EHSの被験者がそうでない被験者よりも弱い電磁波を正確に感知できるか、またはEHS被験者が弱い電磁波に曝露されたときだけに症状が出るかなどを調べます。ほとんどの実験は二重盲検法(実験者も被験者も、電磁波とニセのどちらが曝露中なのか分からないようにして実験する)で行われました。
このRöösli論文の図1によると、EHS被験者トータルで電磁波曝露について、だれでも偶然に正答できる率よりも7%正しく答え、EHSでない被験者は2%正しく答えたという結果でした。
大久保さんはこの結果について「EHS被験者の正答率が、偶然よりも高いことを示す証拠は得られなかった」「(EHS発症者が電磁波を)感知できないという事実に基づけば(EHSの)自己申告は有益な予測因子ではないことが示唆される」などと述べ、この論文をEHSと電磁波曝露の因果関係が存在しない根拠の一つとして紹介しました。
これに対して本堂さんは「私も論文を読んでいますし、Röösliさんと直接お会いしたこともありますが、彼が言っていることは(大久保さんの説明とは)違うと思います。(論文の図1で)ほとんど(統計的)有意ぎりぎりの水準で値が出ている」と反論しました。大久保さんは「それはそうですが(統計的有意でなければ認められないというのは)科学の約束事ですから」と答えました。
私のインタビューに対して本堂さんは、論文の図1から「EHS被験者が電磁場を感知している可能性がけっこうある、と読み取ることができる」という見解を示しました。
「統計的有意」への誤解
なぜ大久保さんと本堂さんの見解が正反対なのか。それは本堂さんによると「統計的有意」についての理解の違いです。統計的有意とは、データA(例:電磁波曝露についてのEHS被験者の正答率)とデータB(例:だれでも偶然に正答できる率)との違いが誤差で起こる可能性は低いと言えるための統計学的な一定の水準を満たしているという意味です。しかし「統計的有意でなければAとBに違いはない」という考え方は「科学の世界で議論の余地がない間違い」だと本堂さんは指摘します(「(特定の確度以上で)違いがあるとは言えない」が正しい)。統計学をきちんと勉強する余裕がなかったためか、そのような初歩的な間違いをしている研究者も多いと言います。
この間違いに基づく誤用が研究論文の中にも多く見られ、そのことが科学に深刻な損害をもたらしていると警鐘を鳴らす科学者800人超による声明が、英科学論文誌「Nature」に今年3月に掲載されました。声明は、統計的有意を満たすかどうかの二分法ではなく「統計の不確実さを受け入れる必要がある」とした上で「(統計有意差ではなく)信頼区間を使うべきだ」などと指摘しています。
本堂さんは「大久保氏が言う『約束事』などない。『リスクコミュニケーション』を標榜する電磁界情報センターの所長が、このような初歩的な間違いをしていることは許されないのではないか」と指摘していました。
電磁波過敏症はノセボが原因であることを示すとした実験
EHSの原因が電磁波でないのならば、何なのか。それはノセボ効果であるというのが、大久保さんの主張です。大久保さんは「興味ある報告」としてドイツのLandgrebe(ラントグレーベ)らによる実験[2]を紹介しました。
これも曝露実験なのですが、Röösli論文の実験のように電磁波やニセ電磁波を曝露させるのではなく、ニセ電磁波と熱を曝露させました。実験開始前に被験者は、ニセでなく本物の携帯電話電波を曝露されると告げられました。熱は左手首に固定した装置で42~48℃の熱刺激が与えられました。実験中、熱と携帯電波(実はニセ電波)のどちらに現在曝露中なのかは、被験者にアイコン(絵)で通知されました。そしてファンクショナルMRIで、痛みなどを感じたときに活性化することが知られている大脳の帯状皮質という部分の活性化の程度を調べました。
実験の結果、熱を与えられたときの活性化はEHS群と対照群(EHSでない人々)との間で差はほとんどなかった一方、ニゼ電波を曝露されたときの活性化の値については、EHS群は対照群に比べて統計的有意に大きくなりました。
大久保さんは「実際にEHSの方々は脳の中で変化が起こっている。つまり実際に苦しんでいる人がいるということです。ただし、それは、携帯電話の電波が発信されているという情報だけで起きている。これがノセボ効果ということになるわけです」と解説しました。
ノセボ効果とは、危険性がないものを体に取り込むなどしたときに危険だと信じることで健康に悪影響が出ることを言います(逆に、薬効はないものを服用したときに効くと信じることで健康に良い影響が出る場合が「プラセボ効果」)。
本堂さんは「ノセボと実曝露(実際の電磁波曝露)を比較する研究デザインになっていない」と批判。これに大久保さんは「どうしていけないのか、逆におうかがいします」と逆質問しました。本堂さんは「ノセボと実曝露の違いを見ることが必要な研究であって『(医薬品研究の場合に)プラセボが存在するから、すべてプラセボだ』と言うことと同じになってしまう」と説明。大久保さんは「EHSでない人と比較している。EHSの人であれだけ活性化しているので、完全なノセボ」と議論は並行線でした。
ニセ曝露時の「ノセボ」は電磁波が原因であることを否定しない
この大久保さんの説明がおかしいことは、少し考えれば私にも分かりました。ニセ曝露のときにノセボ効果によって症状が出ることが仮に正しいとしても、本当の曝露のときに電磁波によって症状が出ることとは矛盾なく両立するからです。日頃から電磁波で苦しんでいるEHSの方々にとっては、実際に曝露していなくても「今、電磁波を浴びせられている」と思うだけで強いストレスになることをLandgrebeの研究は示しているのかもしれないと私は思いました。
インタビューで私が本堂さんに上記の通りの理解で良いか確認したところ、それで良いとのことでした。本堂さんは「EHSの症状の原因が電磁場ではない証拠であるかのようにこの研究について説明することは、ウソをついていることと同じだ」と批判していました。
MRIからの電磁波は?
さらに学会当日に指摘しなかった疑問点を本堂さんは付け加えました。MRIは強い電磁波を出す装置です。これを使いながらの実験は、本当にニセ曝露と言えるのでしょうか。EHSの被験者はニセ電波によるノセボ効果ではなく、MRIからの実曝露によって症状が出たのかもしれないのです。
電磁波の生体影響は熱作用によるものだけであるかのような説明
大久保さんは「非常に強い電磁界ばく露の生体影響は(略)高い周波数領域(100kHz~300GHz)では熱作用が主となることが科学的に確認されている」(抄録集)という前提で、電磁波による熱作用とその防護について講演しました。
生物物理分野の研究者で非熱効果に異議を唱える者はいない
本堂さんは、渡り鳥の研究やMRIを例に、生物への非熱作用は明らかであるとして、熱作用のみを前提とすることに疑問を呈しましたが、時間の都合で大久保さんからの回答は得られませんでした。
本堂さんは「ドイツのオンデンブルク大学での研究で、渡り鳥へ影響を及ぼすと分かった電磁波は、国際非電離放射線防護委員会(ICNIRP)の指針値の1000分の1。非熱作用による生物への影響は、基礎科学の確立された知見になっていて、生物物理学分野でこれに異を唱える研究者はいません。MRIも高周波電磁波を使いますが、その作用は熱作用ではなく『周波数共鳴作用』。電磁場を浴びて生まれる熱は、特定の周波数を持たない死んだエネルギーで、(熱になる前の)電磁場が持っていたエネルギーより弱い」と指摘しました。
私は「大久保さんも非熱作用を無視しているわけではなく、非熱作用についての研究もとりあげた上で、健康影響を及ぼす証拠はないと言っていますが」と質問しました。本堂さんは「大久保さんはメカニズムが解明されない限り非熱作用を認めないでしょう。(メカニズムが分からないと影響を認めない考え方じたいが問題ですが)熱作用とは違い、非熱作用のメカニズムは量子力学の分野であり、薬学部出身の大久保さんや(日本で電磁波生体影響を研究する者に多い)工学者の多くに、量子力学は理解できないと思います」との考えを示し、「海外では、物理学などの科学者がこの分野を研究しています」と教えてくださいました。
NTPなどの新しい研究を紹介しない
米国国立衛生研究所(NIH)の下部にある国家毒性プログラム(NTP)が、携帯電話電波をラットに長期間浴びせたら、脳腫瘍の一種である神経膠腫と、心臓の神経における神経鞘腫と呼ばれるがんが増加したとの研究成果が発表されました(会報第115号など既報)。また、イタリアでの研究でも同様の結果となりました(会報第111号既報)。
大久保さんは講演の中でこれらの最新の知見を紹介しませんでした。本堂さんは「なぜ紹介していただかなかったのか」と質問。大久保さんは世界各国のリスク評価機関がいろんなメッセージを出しています」として、この研究に対する批判があることを指摘。また、「現在、日本および韓国で、このバリデーションスタディ(Validation Study 検証研究)が今年から始まっています。そういう結果を見てからでないと」「NTPがあったからと言って、それで結論が発がん性があると言うのはちょっと早いんじゃないでしょうか」などと述べました。
日本のNTP検証研究は規模が小さい
取材に対して本堂さんは「批判があるから取りあげないとしたら、そもそも学術的議論自体が成り立たない。なんら批判する点がない学術的主張など原理的に存在しません」と指摘しました。
なお、NTP研究の日本での検証研究は、総務省が行う「生体電磁環境研究及び電波の安全性に関する評価技術研究」の一環として今年度から行われ、公募に応じた香川大学、株式会社DIMS医科学研究所、及び名古屋工業大学に委託して実施することになりました。
同研究の基本計画書によると、実施予定額(初年度上限)は1億円程度で、実施期間の目安は5年以内です。初年度の上限いっぱいの金額が5年間拠出されたとしても合計5億円です。NTPの研究は3000万ドル(30億円以上)、10年以上をかけていますから、日本の研究は費用で6分の1以下、期間で2分の1以下の規模です。
本堂さんは「研究の規模が小さくなると、統計学的パワーの不足から、ネガティブ(影響が十分に確認できない)の結果になりやすい。サンプル数が少なければデータの信頼区間が広くなる(ばらつきが増える)からで、いわゆる統計的有意差がない結果になります。統計学的にどれくらいのサンプルが必要なのか、それに基づいて研究計画と予算などが決められたのか、総務省に確認してみても良いかもしれません」とおっしゃっていました。ぜひ質問してみたいと思います。
[1]Röösli, M. Radiofrequency electromagnetic field exposure and non-specific symptoms of ill health: a systematic review.
[2]Landgrebe, M., Barta, W., Rosengarth, K., et al. Neuronal correlates of symptom formation in functional somatic syndromes. A fMRI study.