天使の国ラオス紀行

ラオスという国 
 2月にラオスを旅した。ラオスは日本の本州とほぼ同じ大きさである。北部は本格的な山岳地帯で、南部はそれに比べるとなだらかな山岳地帯である。国土の8割を山岳地帯が占める。ラオスは中国、ベトナム、ミャンマー、タイ、カンボジアに囲まれ東南アジアで唯一の内陸国である。その一方でメコン川の恵みを受けている。人口は約650万人。ラオスの形は「左に傾いた大きなキノコ」にたとえられる。
 現在のラオスは内戦時代を経て1975年に成立した社会主義国である。ラオス南部にある「コーンバペンの滝」は滝幅が実に10kmある滝幅世界一の滝である。アルゼンチンとブラジル国境にあるイグアスの滝は滝幅4kmである。ただイグアスの滝は落差80mあるが、コーンバペンの滝は落差が10mもない。

あこがれのルアンプラバーンへ
 ラオスは2回目である。2年前に首都ビエンチャンを旅した。今回は世界遺産の町として知られるルアンプラバーンだけに絞って6日間旅した。ラオスへの直行便はない。ハノイを経由して行く。日本人にはルアンプラバーンはなじみが薄いが、欧米人旅行客には有名な町である。ある旅行社のアンケートで「行きたい場所」ナンバー1がルアンプラバーンだった。あの南米マチュピチュより高い評価を受けたのである。
 ルアンプラバーンはラオスの前身となったランサーン王国の都であった時期がある。その後首都はビエンチャンに移ったが、山あいにありアクセスの悪いことが幸いし、ラーンサーン王国やフランス植民地時代の面影がこの町に多く残った。
どこまでも時間がゆっくり進む町
 小さい町である。2時間も歩けば中心部を回れる。メコン川とその支流ナムカーン川に挟まれた半島のような形のところに町の中心部がある。メインストリートの「シーサワンウォン通り」の周辺に大寺院など見所が集中している。上座部仏教の国である。早朝大勢の若い僧侶が喜捨を求めて托鉢を行う。ラオス全土で托鉢は行われるが、規模が一番大きいのがこの町の托鉢である。功徳を求め多くの市民がごはんなどの食物を僧侶に喜捨する。その様を多くの観光客がスマホやカメラで撮る。この町には壮麗な大寺院がいくつもあるので、僧侶の数も多い。

ルアンプラバーンの托鉢

 ここではトゥクトゥクというバイクを改造した三輪タクシーが主要な足手段だ。だが私はトゥクトゥクに乗らず、もっぱら歩いた。ラオス人は優しいし親切だ。タイやベトナムが急速に経済発展したのに比べ、まだまだラオスには「ゆったりとしたアジア」が残っている。天使の国といわれる由縁である。

裸の象に乗って川をわたる
 ルアンプラバーンの周辺に「象村」という象と遊べる場所がある。小さなツアーに参加した。スコットランド人の老夫婦と身長2mのドイツ人と陽気なフィンランド人と私の5人のツアー。象に乗るのだが、鞍もなにもない裸の象の首にまたがる。そこらへんを少し散歩する位かと思っていたら、ぬかった道を降り何と川に入り、向こう岸まで渡ってしまった。怖かったがエキサイティングな時間だった。昔は先のとがった杖で象を調教していたが、今は言葉で優しくしつけているという。ラオスではまだまだ象が活躍する仕事場が多いと言う。
欧米人は旅がうまい

象の背に乗って川を渡る筆者

 泊まったゲストハウスは朝食付きで1泊2500円。設備は一流ホテルとは月とすっぽんだがスタッフのおもてなしは最高。欧米人特に欧州人は3週間から4週間の休みがとれるので、こういうゲストハウスを使う、部屋数わずか6室だがいつも欧州人で満杯だった。ゲストハウスには、豪華ホテルをはしごする日本の団体ツアーでは味わえない良さがある。
ラオス人のパーティーに招待される
 ゲストハウスの近くにある個人経営旅行社のオーナーと親しくなり、ラオス人だけのホームパーティーに招かれた。屋外で70人ほどのパーティーで小さな子供もいるまさにホームパーティーだ。腹に響くベースを基調とした生バンドが演奏し、ごちそうもたっぷり、ビールは飲み放題。ラオス人は乾杯好きで何十回も乾杯する。
 ダンスは、フォークダンスのように体は触れず手だけ合わせるダンスでいかにもアジア的だ。しこたま飲んだオーナーのバイクでゲストハウスまで送ってもらったが怖かった。「警察につかまらないのか」と聞いたら、「警察は皆友達だから大丈夫だ」と平気。このへんがいかにもラオス的。

複雑なモン族問題
 この町の名物がナイトマーケット。毎日町一番のメインストリートが午後5時を過ぎると歩行者天国となり、またたく間にテントが建ち200軒ほどの露店が店を開く。露店のほとんどがモン族だという。ラオスは約50の民族が共存する多民族国家。一番多いラーオ族でも50%である。現在の政権はパテト・ラオを母体とする人民革命党。ベトナム戦争当時、米軍はモン族に特殊部隊を作らせCIAがそれを育成し人民革命党に対する右翼ゲリラ戦争を仕掛けた。北ベトナムから南ベトナムをつなぐホーチミンルートはラオスを通る。米軍はこのルートを破壊するため2億7千発のクラスター爆弾をラオスに投下した。米軍はベトナム戦争終了後モン族特殊部隊への支援から身を引いた。残ったモン族特殊部隊への人民革命党の憎悪は激しく、いまでもモン族特殊部隊への掃討作戦は展開されている。この余波で今でもモン族は普通の店を持てず、露店を開いているのだ。そこまで思いを馳せるとナイトマーケットも複雑な気持ちになる。だがナイトマーケットで働く人たちはどこまでも陽気でたくましい。着るものから食べるものからお土産までナイトマーケットにはなんでもある。毎夜、市民や観光客でにぎわっている。【大久保貞利】

Verified by MonsterInsights